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心理カウンセラーリエコのブログ

怒られる怖れを克服したい[ココロノマルシェ]

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心理カウンセラーのリエコです。

今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。

ココロノマルシェとは

根本裕幸カウンセラーの「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラーが、寄せられたご相談にお答えする、お悩み掲示板です。 

+++【ご相談】++++++++++++++++++

夫に怒られる怖れを克服したい。

初めてこちらに相談します。よろしくお願いします。

私は現在結婚して4年になる主婦です。子供はおりません。夫は真面目で思いやりのある人で、出会った頃から変わらず私のことを大切にしてくれています。

しかし、そんな優しい夫のことが私は怖くて仕様がないのです。

いつ怒られるのだろうか?と怯える日々です。「怒られないように」このことがいつも私の頭の中を支配しています。そのせいか夫が怒っているように見えて「怒ってる?」と聞いてしまい、怒らせてしまうことが多々あります。

実際、夫が怒っていることに夫よりも早く気がつき、夫に「どうして怒っているの?」等と余計なことを申してしまい、夫の怒りを私が悪化させることがよくあるのです。

 そのせいか、閉塞感と言いましょうか、とても不自由な感じがして、何もかも捨てて逃げてしまいたい、と思うことがよくあります。

夫と一緒にいて、楽しい時もたくさんあるのです。幸せだと感じられる瞬間もあるのです。

でも、防空後に隠れて見つからないように息を殺しているような感覚が私を支配しています。

一見穏やかな日々でも、戦争は終わっておらず、いつ爆弾が落ちてくるのか分からない恐怖のようなものがずっとあるのです。

おそらく幼少期から大人になるまで父親に怒られ続けたことが原因だと思うのですが、とにかく恐怖が強いです。

子供の頃、父に怒られたとき、恐怖で頭が真っ白になり全身が凍てついて動けなくなったことが忘れられません。

今でも思い出すと頭が真っ白になり、全身が凍てつく感覚があります。

この恐怖からなんとしてでも抜け出したいのです。そうしないと私はおかしくなってしまいそう。

はやくこの戦争を終わらせたい。

それに夫も私がこんな状態では、辛いですよね。

今まで何度も色々な方にカウンセリングをしていただきましたが、この恐怖からは未だに抜け出せておりません。

どうか皆さんのお知恵を貸してください。助けてください。何卒よろしくお願いします。

 from Sさん

+++++++++++++++++++++++++++++

 

Sさん、はじめまして!
心理カウンセラーのリエコです。

 

いつ爆弾が落ちてくるのかわからない恐怖感。
防空壕に隠れて見つからないように息を殺しているような感覚。

常にこのような緊張状態に心を支配されているなら、どんなに恐ろしく、落ち着かないことでしょう。

そして、恐怖心に囚われ、自由を奪われてしまうような窮屈さ。

「今までに何度もいろいろな方にカウンセリングをしていただいた」とあるので、きっと必死で抜け出そうともがいらっしゃるんですね。

それでも抜け出せなくて、困り果て、疲れきっていらっしゃる様子が伝わってきます。

 

夫は真面目で思いやりのある人で、出会った頃から変わらず私のことを大切にしてくれています。

しかし、そんな優しい夫のことが私は怖くて仕様がないのです。

Sさんは、お父様に対して感じてきた恐怖心を、「自分を大切にしてくれている旦那様」に対しても感じてしまうんですね。

それは複雑な気持ちになりますね。。

では、なぜ旦那様に対して恐怖心を感じてしまうのでしょう?

ご質問文を読んで私が感じたのは、「心の距離感」が作用しているのではないかということでした。

 

①「父との距離感」と「夫との距離感」

女性にとって、「父親との距離感」と「パートナーとの距離感」は、密接に関係しているといわれています。

”異性の親”である父親は、幼少の頃から一緒にいる「いちばん親密な男性」であり、Sさんにとっての「男性との距離感の基準」となるので、

その後に出会った男性と心の距離が近づき、父親のポジションに近くなるにつれ、お父様との関係性を反映しやすくなるんです。

ご相談文によると、Sさんとお父様は「怖れ」という感情を挟んだ関係性でしたね。

ですから、無意識かもしれませんが、旦那様との間にもその関係性を持ち込みやすくなっていることが考えられます。

でも、Sさんが恐れているのは「お父様」であって「旦那様」ではありませんよね?

なので、もしも旦那様に対して「怒られるのではないか」という怖れを感じたなら、その都度「この怖れは、旦那様に対する怖れではない」と自分に言い聞かせて、線引きしていく必要があります。

とはいえ、恐怖心が大きいと混乱しやすいでしょうし、そんな簡単にはいかない時もありますよね。。

でも、そんな時には、旦那様は「出会った頃から変わらず大切にしてくれている方」であること、ご夫婦で過ごす時間はSさんにとっての「安全地帯」であることを思い出してみてください。

そこは、爆弾も落ちてこないし、防空壕を作る必要もない世界です。

もしも旦那様に対して「怖れ」の感情を感じたら、旦那様と一緒に過ごしている時の「安心感」を思い出して、「恐怖感→安心感」に書き換えていってくださいね。

 

②「Sさんと夫」の距離感

「パートナーは鏡」といいます。

近い距離にある関係ほどお互いに及ぼす影響が大きいので、Sさんにとって「いちばん親密」な旦那様は、自分の価値観を映す鏡になりやすいのです。

いつ怒られるのだろうか?と怯える日々です。「怒られないように」このことがいつも私の頭の中を支配しています。そのせいか夫が怒っているように見えて「怒ってる?」と聞いてしまい、怒らせてしまうことが多々あります。

「いつ怒られるのだろうか?と怯える日々」なのは、Sさんの中にもともとある「私は怒られる」という観念を、旦那様が鏡のように見せている状態だから。

その観念が、ぜんぜん怒っていない旦那様を「怒っている」ように見せてしまったり、その怖れの感情を旦那様に向けることで「私は怒られる」を現実化してしまうんです。

それは、仕方がないことだと思います。
根付いてしまっている観念が、無意識にそうさせてしまうのですから。。

幼少期から大人になるまで怒られ続けてきたことで、Sさんにとて「怒られない状況」というのは、ある種の違和感となり、
自分の観念が正しいことを証明するために、無意識に「私は怒られる」の証拠探しを始めてしまうのだと思います。

Sさんはきっと、それが苦しくて、この問題を”自分でどうにかしなければ”と考え、これまで何度も色々なカウンセリングを受けてきたのではないでしょうか。

でも、自分でできることを何でもやって、それでも解消できないなら、もう「自分ひとりで頑張る」ことは限界なのかもしれません。

実は、この引用部分を読んで思ったんです。
Sさんが旦那様に「怒ってる?」と尋ねるのは、怒っているかを確認したいだけじゃないのではないかなと。

その言葉の奥には、「私のこと怒ったりしないよね?」という想いや、「私が怖くてたまらないことを理解してほしい。安心を感じさせてほしい。助けてほしい。」の気持ちがあるのではないかなと。

カウンセラーももちろん全力でSさんの力になりますが、
でもその前に、Sさんのいちばん身近にいて、Sさんとの幸せを願っている旦那様に、助けを求めてみてはいかがでしょう?

①でいうところの「いちばん親密な男性」との間には、もしかしたらこれまで「頼る」という関係性がなかったのかもしれませんね。

「困った時には、頼る」という発想がないから、無意識に「自分ひとりで解決する」という方に意識が向いてきたのかもしれません。

でも、もしも「どれだけ頑張っても解決に向かわない」という問題が、Sさんにとって必要があって起きているのだとしたら、それは「誰かに頼る」という新しい関係性を得るためなのかもしれません。

・いまSさんが抱えている不安。
・問題を乗り越えようとひとりで頑張ってきたこと。
・それでもうまく乗り越えられずにいること。
・もうどうしたらいいのかわからなくなっていること。
・これからもずっと旦那様と幸せな関係を築いていきたいこと。
・私を支えてほしいこと。

これらの想いをぜんぶ伝え、「自分にできることはやる、できないことは支え合う」という、ご夫婦の新しい関係性を作ってみられるのはいかがでしょうか?

 

        *****

 

Sさんが「怖れ」を感じるのは、Sさんの中にある「観念」がとても大きく作用しているようですね。

この観念を書き換えることは、恐怖から抜け出す近道なのかもしれません。

そこで、その大元となっている「お父様」に視点を向けてみましょう。

おそらく幼少期から大人になるまで父親に怒られ続けたことが原因だと思うのですが、とにかく恐怖が強いです。

子供の頃、父に怒られたとき、恐怖で頭が真っ白になり全身が凍てついて動けなくなったことが忘れられません。

今でも思い出すと頭が真っ白になり、全身が凍てつく感覚があります。

体に反応が出るほどの恐怖・・幼いSさんにとってどんなに恐ろしかったでしょう。

子供の頃の体感が今も残っているのですから、Sさんの中には「当時のままの恐怖心」が冷凍保存されているみたいに残り続けているのかもしれません。

そして、思い出すたびに当時のままの痛みを感じ、募らせていくのです。

 

でも、お父様はどうしてそんな風に怒ったのでしょう?

幼いSさんにとっては恐怖でしかなかった場面も、大人のSさんの目で見たら、違う景色がみえてくるかもしれません。

「大人のSさん」が、「当時のお父様」と「幼いSさん」に会いにいくつもりで、改めてこの問題を眺めてみませんか?

そして、もしもカウンセリングの場でしたら、こんな視点で一緒に掘り下げてみたいです。

●お父様が「怒り」の奥に抱えている感情があるとしたら、何だと思いますか?
●お父様が「怒る」という伝え方しか知らなかったとしたら、何を伝えようとしていたと思いますか?
●お父さんにはお父さんの事情があったとするなら、どんな事情があったと思いますか?

 

実は、私自身にも、つい最近までSさんと非常によく似た状況がありました。

父に怒られた時の「恐怖で頭が真っ白になり全身が凍てついて動けなくなる」様子もとてもよく似ています。

私の場合は、意識の中で「幼少の私&父」から「大人の私&父」という関係性にシフトし、父を理解できるようになった頃から、恐怖感や関係性が少しづつ変わってきたような気がします。

私の父はとても真面目で不器用な人なので、ネガティブな感情を心を許した人に対してしかだせなかったのかもしれないな、と思えるようになったんです。

だからって、そんな風に怒られるのは嫌ですけれど!

愛情表現も不器用な父でした。
父には父なりの事情があったのだろうと、大人の視点で理解をしたのです。

前述の②にあるように、自分のマインドが変わることで、周りの人との関係性が変化したということなのかもしれません。

 

恐怖感と向き合うことは、勇気がいりますね。

ずっと恐怖にさいなまれ苦しんでいるSさんにとっては、簡単じゃないこともお伝えしてしまったかもしれません。

でも、この状況を変えられるのは、Sさんご自身にしかできないこと。

幼少の頃からの苦しみから解放されるために、何かしら参考になることがあれば幸いです。

Sさんが安心感に包まれながら、優しい旦那様と幸せに過ごせる日が早く訪れますよう、応援しております!

 

 

心理カウンセラー リエコ

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潜在意識の世界に連れていってもらった話。

 

こんにちは!
心理カウンセラーのリエコです。

 

ヒプノセラピー催眠療法)」ってご存じですか?
催眠療法‥ときくと、眠っている間になにかが起きるようなイメージを抱く人も多いかもしれません。

お弟子仲間の竹内えつこカウンセラーヒプノセラピーを取り入れているときき、先日カウンセリングをしてもらったんです。
そこでとても面白い体験ができたので、今日はそのレポートをしたいと思います。

 

        *****

 

ヒプノセラピーを受けてみようと思った理由

以前から気づいていたことがありました。

イメージワーク(誘導瞑想)の時に、途中から意識が飛んでしまったり、イメージの世界に入れない時があることを。
あるところまでは潜れるのですが、入っていけない領域があるのです。

根本師匠はそれを「フォーカスパーソンと同じ痛みを持っているから、感情がフリーズしてしまうのだ」と説明してくれました。

「痛くて感じたくない感情」を感じないために、感情に蓋をしているから、その奥に入っていけないのです。

でも、感情は感じることで昇華されます。
だったら、ちゃんと感じて昇華したい!

そこで、いつも無意識に逃げてしまう「感じたくない感情」と向き合うべく、
自分ではどうやっても辿り着けないその「感情の蓋の奥の領域」へ、ヒプノテラピーに連れていってもらうことにしたんです。


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ヒプノセラピー催眠療法)とは?

ヒプノセラピーとは、セラピストの誘導で「催眠状態」になり、潜在意識に働きかけることで、心の問題を癒したり解決したりする療法です。

イメージワーク(誘導瞑想)との違いは、もっともっと深いリラックス状態に導かれること、オーダーメイドで自分が見たい世界に連れて行ってもらえること、かなと思います。

セラピストの誘導で「見たい世界に連れていってもらえる」とはいっても、実際にその世界を覗きにいくのは自分自身。
なので、セラピストは全力で誘導し、受ける側は「○○を解決したい」「○○を癒したい」という目的意識をもって全力で臨む、二人三脚の取り組みです。

 

今回の目的は、「感情の蓋」の奥の世界を覗くこと。

ヒプノセラピーでは、催眠状態のイメージの中で、
・過去の出来事と向き合う
・子供の頃の自分に会いにく
・前世を見にいく
ハイヤーセルフとつながる
といったことができるそう。

今回の私の目的は「感情の蓋の奥の世界を覗きにいくこと」ですから、この中でいうと「過去の出来事と向き合う&子供の頃の自分に会いにいく」を選択したことになります。

 

でもここで、えつこカウンセラーから、さらなる選択肢が。
ヒプノセラピーでは、わざわざ痛みを感じに行かなくても、痛みを昇華することができるんですよ」

潜在意識にアクセスすることで、「痛みの経験から得られる学びのみ」を取り出すことができるのも、ヒプノセラピーのメリットなのだそう。
よって、感じたくない感情をわざわざ感じることなく、過去の出来事を昇華できるというのです。

でも、私はずっと「感情の蓋」の奥の世界がみたくて仕方がありませんでした。
自分が「心に蓋をしてしまうほどの痛み」がどんなものかをよく知りたかったし、
蓋の奥でその痛みと今も対峙している「幼い自分」をひとりにしておけない気持ちもありました。

なので、敢えて「痛みを感じにいく」ことを選択。
事前カウンセリングで「感情に蓋をしてしまった原因」を検証していきました。

 

ヒプノセラピー、私の場合。

私が感情に蓋をしてしまった原因。
それは、ざっくり言うと「母と私と弟の三角関係」。
1つ年下の弟がいるのですが、母が弟ばかりをかわいがっているように見えて、すごくさみしかったんです。
長女あるあるですね。

本件は、これまで何度も何度も掘り下げてきました。
そして、何度も何度も思い返したので、映像を思い浮かべることは容易にできます。
でも、感情が麻痺しちゃってるのか、痛みがぜんぜん感じられないんです。

それは痛みが昇華されてるからでは?と思いきや、
現実に起きている事象には、まったく癒されている実感がありません。
今でも「誰か」が「私じゃない方」を大切にしている様子を感じると、胸をえぐられるような感情がこみ上げ、まだ痛みが癒されていないことを知るのです。

大人の私は、ちゃんと理解しています。
母の背景的な事情も、母にとってはそれが精いっぱいだったことも。
思考で理解できてしまうから、余計に、幼い頃の感情にたどり着きにくくなっているのかもしれません。

幼い頃の私の感情は、「心の蓋」の奥に存在感を感じさせながら、けっして表にでてきてくれないのです。

 

いよいよ、ヒプノセラピー開始。

ヒプノセラピーに入る前に、まずは座学。
私たちに馴染みのない「催眠」について学び、
これからどのような行程を経て進められていくかのレクチャーを受けます。

そして、催眠にかかるかどうかのチェック(レモンを思い浮かべて唾液が出るか?)、本番前の導入を兼ねた「軽い瞑想状態」の体験を経て、いよいよ本番です。

 

体から全ての力が抜け、
えつこカウンセラーの声だけが私の中にはいってきます。
そして、誘導の言葉に従っていくと、
私の中にふわりとイメージが浮かんできました。

私の中にはじめに浮かんだイメージは、3歳の頃。
小さな私が、母と弟の様子を、少し離れたところからみています。

弟はとても小さくて可愛くて、母はとても愛おしそうに弟をみています。

私は「弟ばかり見ていて、私を見てくれない」「私のことも見てほしい」と思いながら、
「弟のお世話が済んだら、私の番がくる」と思って、待っています。
でも、私の番がくることはありません。

 

母に甘えることはしません。母が壊れてしまうから。
私はさみしさでいっぱいになり、
最後は「私は居なくていい人なんだな」と、すねてしまいます。

 

その風景をみている私は、意識もしっかりしていて、えつこカウンセラーの呼びかけに1つ1つ答えています。
体感としては「知っていたけど思い出せなかったもの」に触れている感覚。
さみしい気持ちが胸に広がるけど、大きな感情ではありません。
ずっと知っていたから。
でも、閉じている目から涙がポロポロと落ちてきます。
涙がこみ上げるような熱い気持ちではないのに。
あの涙は、「幼い私」の涙だったのかな。。

 

「私の無意識」は、この感情を私に感じさせたくなかったのかもしれません。
幼い私にとって、それはきっと耐えられない痛みだったんです。

怒ることが出来たらまだよかったのかも。
「けんちゃんばっかり!」
「次は私だけ見てくれる番なのに!」って。

でも、いつも自分を二の次にして精一杯やっている母にはどうしても甘えられなくて、弟のことがとても可愛くて、私は諦めることにしたのかもしれません。

 

えつこカウンセラーは「それは、あなたがよく知っている感情ですか?」と私に確認し、「よく知っている」と答えると、こんどは「私が初めてその感情を抱いたシーン」へと誘導していきました。

私の中に浮かんだ「初めてその感情を抱いたシーン」は、私が1歳半の頃。
顕在意識では記憶にあがったことがない、初めての情景でした。

新生児の弟を、母が世話しています。
私は、母が弟の世話をしている様子を、隣でじっと見ています。

 

弟をみて「私よりも小さな赤ちゃんがいる」と感じ、
母が弟のおむつを替えている様子を見て「弟は小さくて弱いから、母が世話をしないと何もできないんだな」と感じています。

 

その時の私の心の中に「さみしい」という感情はなく、
「弟は、私よりも小さくて弱い存在だから、しょうがない。」
「それまで自分だけを見ていた母の視線が、すべて弟に注がれてしまったけど、しょうがない。」と感じています。
そこには、いろいろなことを「しょうがない」と諦めている1歳半の私がいました。

 

「小さな私」の心象風景を眺め終えると、
こんどはえつこカウンセラーが、現実の世界へと誘導してくれます。
私の体の中に浄化の光をながしてくれたような。。(←ここは記憶があやふや)
ゆっくりと時間をかけて現実に戻り、セラピー終了です。

 

ヒプノカウンセリング、振り返りの時間。

感情の蓋は「怒り」であるといいます。
だから、私も、感情の蓋の向こうには「怒り」があるのかなと思っていました。

でも、感情の蓋のその奥にあったのは、「怒り」ではなく「諦め」でした。
「諦め」も「怒り表現」の1つなのかもしれませんね。

 

「リエコちゃんは、自分だって赤ちゃんなのに、”しょうがない”といって諦めちゃたんですね」とえつこカウンセラー。

あぁ、それは、、とても馴染みがある感覚だな。。
物事に対しても、対人関係においても、今では「私のパターン」と化しています。ここからきてたのか!驚

例えば対人関係において、現在の私は、
「愛してほしい人に、見てもらえない」の痛みを感じたくなくて、
大切な人との距離を縮められないところがあります。

上手く運ばなくなると、”しょうがない”といって諦めるのです。

 

「”しょうがない”と諦めて自己完結する前に、気持ちを伝えてみてもよかったのかもしれませんね。」とえつこカウンセラー。

たしかに、その通りです。
そして、もっと自分が「どうしたい」とか「こうしてほしい」と感じてもよかったのかもしれません。

 

「今日の学びを生かすために、『しょうがない、と諦める』パターンを手放すための第一歩を決めませんか?」

私が決めたのは、こんなことでした。

【好きな人や関わりたい人に対して、「愛されない」という怖れを越えて、関わりを諦めないこと】

本来は、ごく簡単なハードルを設定することが、チャレンジ継続のコツ。
なのに、我ながらものすごく難度の高いハードルを設定してしまいました汗

でも、古いパターンを手放して、この機会に変わりたいなと思ったんです。
だから、これからもトライし続けていきたいと思っています。

 

        *****

 

今回のセラピーを通して得られたことは、これらの学びだけではありません。

「幼い私」がひとりで感じていた感情を「大人の私」が共感してあげられたことで、自分と繋がる感覚が強くなったことも、大きな収穫。

大人の私が「自分の事よりも、母や弟を思いやってあげたんだね。えらかったね。」と言ってあげることができて、「幼い私」が喜びました。

 

それから‥書いていて思い出したのですけれど。。
当初の目的は「感情を感じきって、昇華すること」だったのに、イメージするのに必死すぎて、その目的をすっかり忘れていました汗

でも、もしも今回、痛みがすっかり昇華されたなら、
「愛されないという怖れを越えて、大切な人との関わりを諦めない」というチャレンジにも至らなかったわけなので、結果的には、私にとってよい展開だったかなぁと思っています。結果オーライ!笑

 

        *****

 

さいごに、ヒプノセラピーの感想を。

自分ひとりでは、ここまで深く自分の中に潜れなかったと思います。

また、私が無意識に発するキーワードを的確にキャッチし、点と点をつなげるようにして伝えてくれたセラピストのおかげで、自分ひとりでは得られない視点をもらうことができました。

ヒプノセラピーは、「セラピスト」と「クライアント」の二人三脚の取り組みといいますが、そういう意味でも「誰に誘導してもらうか」は、とても大事。 
今回えつこさんに導いてもらえてとてもラッキーでした。

イメージワークが苦手な方、感情に蓋して頑張ってしまいがちな方にも、いいのではないかな。

これを機に、古いパターンを手放すべく、トライ&エラーしていきたいと思います!

 

 

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アダルトチルドレン。女性性の強い人がラクになる方法は?[ココロノマルシェ]

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心理カウンセラーのリエコです。

今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。

ココロノマルシェとは

根本裕幸カウンセラーの「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラーが、寄せられたご相談にお答えする、お悩み掲示板です。 

+++【ご相談】++++++++++++++++++

アダルトチルドレン

アダルトチルドレンという言葉が以前からあったのは知ってたのですが、この頃YouTubeでカウンセラーさんの動画を色々みてたら(こちらのカウンセラーさんの回答動画やLiveも時々拝見してます勉強になるし元気が出ます)オススメでACについての動画があり何本か観たら自分のことだと思いました。

 

それでカウンセリングを受けたい気持ちがムクムクしてきたのですが、AC専門の方の動画やblogは真摯な分すこし硬いというか私には硬派過ぎる印象で、相性について今検討しています。

 

私の問題はたぶんACなのですが、もっと感覚的で女性性からアプローチして下さる方の方があってるような…って思ってこちらに相談しました。
ACやカウンセリングの相性、また女性性が強いタイプが楽になる方法などについてご意見いただきたいです。

from ラテさん

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ラテさん、はじめまして!
心理カウンセラーのリエコです。

 

YouTubeで「アダルトチルドレン」の動画をみて、ご自分に近い要素を感じてご相談くださったのかなと思います。

アダルトチルドレンとは、子供の頃の家庭環境が原因で、大人になっても何かと生きづらさを感じている人のことをいいます。

ご相談文を読ませていただいた印象だと、ラテさんはとても豊かな女性性をお持ちで、それゆえにご家族の中で何かしらの役割を担われてきたのかもしれませんね。

 

そもそも女性性の強い人は、社会生活では何かと生きづらさを感じやすいように思います。

特に、日本は「和」を重んじる風潮がありますよね。
周りと歩調を合わせることで連帯感をもち、物事をすすめていく国民性ですから、
「自分らしく」「感じるままに」といった女性性を大切にすると、どうしても周りと足並みが揃わなくなり、和から外れてしまいます。

そこで、周りに沿えない自分を責めたり、はみ出てしまう個性を抑えようとしたり、周りに沿わせようと無理をしたり。。

それらが、もともと備わっている才能を抑え、窮屈さや生きづらさを生じさせ、いろいろな問題につながっていきます。

 

 

ACやカウンセリングの相性、また女性性が強いタイプが楽になる方法などについてご意見いただきたいです。

自分に合うカウンセラーを、どのように選べばいいのか?
たくさんいると、迷ってしまいますよね。。

カウンセラーとの相性って、たしかにあると思います。

人と人とのコミュニケ―ションにも相性があるように、ラテさんが心地よく感じる個性や雰囲気、人柄といったお好みも、きっとありますよね。

また、ラテさんがカウンセラーからどのようなものを受け取りたいか、も大事なポイントだと思います。

例えば、
心にとことん寄り添ってくれるカウンセラーがいいなとか、
知りたいことについて具体的なノウハウを示してくれるカウンセラーがいいなとか、
自分が「素敵だな」「こんなふうになりたい」と感じるカウンセラーがいいなとか。

 

ココロノマルシェの回答をしているカウンセラーは、根本さんのもとで心理学を学んだ仲間たちですが、
それぞれのバックグラウンド、学びの過程、専門性、また物事の見方や考え方もいろいろなので、手前みそですが、いろいろな個性が揃う面白さが魅力だなと思っています。

それらは、マルシェの回答によく表れています。
同じご相談に複数の回答がついていると、視点も解決へのアプローチもいろいろだったりしますよね?
また、回答には、カウンセラーの個性や考え方がとてもよく表れているなぁと感じます。

もしも、ラテさんにお困りの課題があれば、マルシェに投稿して、回答者の中から「いいな」と感じるカウンセラーを選んでみてはいかがでしょうか。

もしも、具体的な課題がないのでしたら、既出のご相談の回答から、ご自分と相性の合いそうなカウンセラーを探してみるといいかもしれません。

「この人に話を聞いてもらいたい」と感じるカウンセラーと出会えるといいですね!

 

なお、女性性の強い方が楽になるためには、ご自分の魅力や才能を否定せず受け取とり、自分らしさを大切にするマインドを持てるようになることが大事だと思っています。

ラテさんが子供の頃からずっと持ち続けている「痛み」に優しく寄り添い、導いてくれるカウンセラーに出会えますように。

そして、ラテさんのお悩みが解決の方向に向かい、魅力をさらに輝かせていけますよう、応援しております!

 

 

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「感じることから逃げていた私の話」、の1年後の話。

 

こんにちは。

心理カウンセラーのリエコです。

 

感情を感じること。
感情を上手に扱うこと。

それは、心理学を学び始める前からの、私の裏テーマでした。
どうして「裏」かというと、はっきりと「よくわからない」と言えないくらい、私にとって掴みどころのないものだったからです。

 

「自分がなにを感じてるのかわからない」時もあれば、
「大きな感情に翻弄されてエネルギーをたくさん消耗する」時もありました。

 

「自分がなにを感じているのかわからない」のは、
感情が溢れる前に「思考」に切り替えてしまうから。

感性が豊かな人、繊細な人、過去の心の傷が痛む人など、
感じるセンサーが人よりも敏感な人は、
社会生活に自分を適応させるために「感情に蓋」をして自分を守ることがあります。
そうするうちに、それがクセになって、自分がなにを感じているのかわからなくなっていくんです。

そんな風に「感情に蓋」をするのは、自分が感情に翻弄されやすいことを知っているから。
とてもたくさんエネルギーを消耗するのもしんどいけど、
私にとってなにより辛いのは、
感情に翻弄された時にはいつも、平常心でいられなかった自分を責めてしまうこと。

感情が溢れる前に「思考に切り替え」られたら、それはそれで問題だけど、
その辛さを考えると「感情に蓋」してしまった方が心が平和なんです。

そんな風に、自分の感情と上手に折り合いをつけられない状態が苦しくて、心の学びに辿り着きました。

 

「感情」の扱いが不器用だとしんどいことも多いけど、それは私の中の問題を浮き彫りにし、いろんな学びにつなげてもくれました。

そして1年ほど前、自分なりに「ある程度は把握ができた」と踏んで、それまでの学びをブログに綴ったんです。

そのすぐあとに、まさかの展開が待っていたんですけれど。。

今日は、ブログの「その後の1年」について書いてみたいと思います。

 

        *****

 

このブログを書いた時は「ひと山超えたなぁ」なんて思っていました。
でも、それから程なくして、突然「ふた山」めが訪れます。
「心の強制終了」です。

ブログに偉そうなことをたくさん書いておきながら、とても恥ずかしいのですが、私はデッドゾーン燃え尽き症候群)に突入してしまったのでした。

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デッドゾーンに突入してしまった話。

デッドゾーンとは、一言でいうと「何も感じない」状態。
・無気力でポカーンとなって、やる気がおきない。
・楽しいことがぜんぜん思い浮かばない。
・坂道を落ちていく感覚‥でも抗う気力がわかない。
まるで、心の中が色彩を失ったようでした。

どうしてそんな状態に陥ったのか?
カウンセリングをしてくださった根本師匠は、
男性性女性性を抑え込む、そのやり方に限界がきた」のだと説明してくれました。
思考感情を抑え込む、そのやり方に限界がきた」とも言い換えられます。

自覚はなかったけど、気づかないうちに小さなストレスが積もり積もって、それを持ち前の「我慢強さ」でナチュラルにスルーし、ブルドーザーみたいに前に進んでいくうちに、力尽きてしまったのだと思います。(デッドゾーン期のことは、こちらに書いています。

 

「感情・感覚」は、私にサインをしていたはずです。
しんどいよ、休ませて、って。
そのサインをキャッチできなかったことが、私をデッドゾーンに向かわせました。

自分でもよく自覚していたはずの「思考で感情を抑え込む性質」が、しらないうちに発動され、「極」までいってしまったのだと思います。

 

「感情を感じること」に苦手意識がある人って、
感じないようにして思考でサクサクと物事を進めてしまうクセがついています。
そして、そのクセは、長年のルーティンにより無意識化しています。

「無意識」を変えること自体が難しい上に、
感じることって「正解がない」から掴みづらいし、
意識していないとスルーしてしまう。
だから、その苦手意識はなかなか抜けないのだと思います。

でも、デッドゾーンを迎えた私は、それまでの「思考で感情を抑え込むやり方」を手放さなければなりませんでした。

そうなると、「感情・感覚を感じていくこと」は不可欠です。
今回のデッドゾーンは、ゆるゆると構えていた私に「感情から逃げてないで、本気で取り組みなさいよ」と喝を入れにきてくれたのかもしれません。

 

 

デッドゾーンのあと、どうなった?

振り返ると、デッドゾーン後の日々は、
「長年培ってきた男性性」と「ぜんぜん頑張れなくなった自分」との葛藤であり、
「顔を出してきた女性性」と「それに戸惑いながらも抗えない自分」とのせめぎ合いでした。

そして、「今までのやり方」とは違うスタイルを探るたびに、慢性的な問題(理想主義やら、コントロール癖やら)が顔を出して、その1つ1つに取り組みながら、自分と向き合う日々。

でも、恩恵もありました。
慢性的な問題って、私を「今までのやり方」に留めていたストッパーのようなもの。
だから、1つ手放すごとにふわっと心が軽くなることを実感できました。
そして、1つ手放すごとに自分との絆が深まる感覚がありました。

 

でも、「思考派体質」は未だ抜けていません。
会社に勤めたり、社会生活に沿う生活をしていると、思考的な習慣から抜け出すのは、なかなか簡単ではありませんよね。。
でも、「思考で頭がぐるぐるしている時に『あ!』と気づいて、思考から離れる」ができるようになりました。
やるべき仕事を目の前にすると、意識がそちらに引っ張られてしまいやすい私なので、自分の状態に気づけるようになったのは大成長!
感覚って、こうやってコツコツと育てていくものなのかもしれません。
思考と感覚のバランスも育つといいなぁと思っています。

 

以前は、「感情の波をサーフィンみたいに乗りこなすこと」が生きやすくなるコツだと思っていました。
今でもそう思っているけど、それ以前に、今の私には「もっと丁寧に、感情・感覚をキャッチすること」が必要みたい。
そんなことを実感しています。

 

 

感情を感じられなくなったのは、なぜだろう?

「感じないように蓋をする」のは、痛くて感じたくないからです。

過去に痛みがある人は、同じ感情を感じないために心に蓋するのでしょうし、
心が繊細な人は、その「繊細さ」で全ての感情を感じると、社会生活でとても生きづらいから、自分を守るために感情に蓋をしていきます。

自分の感情と向き合わないために、すぐに思考に切り替えて、
理屈で納得しようとしたり、
理性でなかったことにしたり、
「そう感じる自分が悪い」と自分責めしたり。

そうやっているうちに、自分が本当に感じていることがわからなくなっちゃう。
本来の自分とどんどん疎遠になっていくんです。

 

 

感情・感覚と仲良くなるために。

もっと丁寧に、感情・感覚をキャッチできるようになるには、
・意識的に感情・感覚を感じていくこと。
・思考に逃げないよう、自分に寄り添うこと。
・蓋をしてきた「感じたくない感情」と向き合うこと。

感情は、感じたら抜けていくものだしね。
いろいろ手探りしていきたいと思っています。

 

そんな心境に至ったのが、この1年間の私の成果。

次の1年後にはどんなことを書いているのか想像もつかないけど、
少しでも前に進めているといいなぁ!と思っています。

 

心理カウンセラー リエコ
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あの子に嫉妬してしまう[ココロノマルシェ]

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心理カウンセラーのリエコです。

今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。

ココロノマルシェとは

根本裕幸カウンセラーの「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラーが、寄せられたご相談にお答えする、お悩み掲示板です。 

+++【ご相談】++++++++++++++++++

あの子に嫉妬してしまう

ご相談、失礼します。
サトウと申します。
お目に留まりましたら嬉しいです。

大卒上がりたてのフレッシュウーマンなのですが、このたび体調を崩して、2ヶ月の休職となりました。うつ病です。

職場の先輩はとても優しく、「ゆっくり休んでね〜」と言ってくれます。
そのときは「有難いなあ」と受け取っていられたのですが、徐々に鬱陶しく感じられるようになりました。

また、私より同期の子が先に休職したのですが、どうも課長はその子には頻繁に連絡を取り合っているみたいです。私は休職してから1回しか掛かってきませんでした。

私の中で、「あの子の方が学歴あるし、必要だからなんじゃないか」、「でも、一人暮らししてて近くに家族もいないからなんじゃないか」(私は実家暮らしです)、「そもそも診断名がちがうから比較できることじゃない」と悶々としてます。

考えていたら、「私を見てくれない」寂しさが湧き上がってくるのです。

でも、見られたら見られたで鬱陶しい。重い。こっちから連絡するし、やめてほしい。と思うのです。ハチャメチャです。

一体、自分はどうしてほしいのか、分かりません。
恥ずかしながら、同期の子に嫉妬してしまいます。かと言って、課長にそうしてほしいわけでもないので、余計にこんがらがっています。

私の捻くれた思考を紐解いてくださる方、もしよろしければご回答、お願いします。

from サトウさん

+++++++++++++++++++++++++++++

 

サトウさん、はじめまして!
心理カウンセラーのリエコです。

 

休職をされているとのことですが、ご体調はいかがですか?

コロナ禍による閉塞的な生活スタイルが長く続き、ただでさえストレスのかかりやすい今日この頃なので、私の周りでも体調がすぐれない方が多いなぁと感じています。

そこに生活環境の変化が重なると、かかる負担もさらに大きくなりますよね。

そんな中、ご自分の心の矛盾に気づかれて、ご相談くださったんですね。

私の捻くれた思考を紐解いてくださる方、もしよろしければご回答、お願いします。

ご相談文を読ませていただいて、サトウさんは捻くれているどころか、とっても素直で聡明な方なんだなぁと思いました。

心の声をそのままキャッチできる素直さも素敵ですが、
矛盾した心の声をこれだけきちんと言葉にして、わかりやすく説明できるって、才能ですね!

おかげでサトウさんの状況がとてもよく理解できましたので、
ここからは早速、リエコの感じたことをお伝えさせていただきたいと思います。

 

        *****

 

たびたびある「職場の先輩」からの連絡は「鬱陶しく」感じられるのに、

同期の子に比べて1回しかこない「課長」からの連絡には「寂しさ」が湧いてくる。

でも、課長からたびたび連絡が欲しいわけではない。。

 

これらはいずれも、サトウさんと相手方との「心の距離感」の問題なのだと思いました。

 

まず、先輩のお話から。。

職場の先輩はとても優しく、「ゆっくり休んでね〜」と言ってくれます。

そのときは「有難いなあ」と受け取っていられたのですが、徐々に鬱陶しく感じられるようになりました。

サトウさんは「相手との間に、ある一定の距離感が必要」な状態にあるようです。

だから、先輩が連絡をくれる頻度が頻繁だと、その距離感を縮められたように感じて、鬱陶しく感じてしまうんですね。

心理学の言葉では、これを「親密感の怖れ」といいます。

 

そこには、過去の何かしらの「痛み」が関係していることが多いので、
人間関係の基礎となる「家族との関係」を見ていくことが多いのです。

例えば、子供時代に
・母親が過干渉でサトウさんとの距離感が近く、自由を奪われ続けてきた
・父親がすごく怖い人で、離れたいのに離れられなかった

といったようなことがあると、
自分を守るために「相手と一定の距離をとりたい」という衝動が働くようになりますね。

すると、その後の人生で出会う人との関係にも、無意識に「一定の距離」をとるようになっていきます。

これまでにも「距離感が縮まると居心地が悪くなり、離れたくなる」ことって、ありませんでしたか?

もしもカウンセリングの場でしたら、幼少のころのサトウさんのご家族のことや、印象的だった出来事についておうかがいし、
そこに痛みがあれば癒すことをして、距離感の枠を和らげていきます。

 

        *****

 

次に、課長のお話をみていきましょう。

また、私より同期の子が先に休職したのですが、どうも課長はその子には頻繁に連絡を取り合っているみたいです。私は休職してから1回しか掛かってきませんでした。

私の中で、「あの子の方が学歴あるし、必要だからなんじゃないか」、「でも、一人暮らししてて近くに家族もいないからなんじゃないか」(私は実家暮らしです)、「そもそも診断名がちがうから比較できることじゃない」と悶々としてます。

考えていたら、「私を見てくれない」寂しさが湧き上がってくるのです。

でも、見られたら見られたで鬱陶しい。重い。こっちから連絡するし、やめてほしい。と思うのです。ハチャメチャです。

自分と同じように休職している「同期の子」とは頻繁に連絡をとりあっているのに、私には1回だけしか連絡をくれない。。

それは寂しい気持ちになりますよね。

でも、サトウさんがすごいのは、その”寂しい”の気持ちが「私を見てくれない」という感覚からくる寂しさであることに気付けたこと。

さらに「見られたら見られたで鬱陶しいし重い」ということも!笑

その素直さとまっすぐさ、本当に素敵です。

 

そもそも、この状況ってそんなにおかしなストーリーじゃないのかもしれません。

課長が”同期の子だけ”に頻繁に連絡をするのは、

「一人暮らしなのに体調を崩している」ことへの配慮かもしれないし、

「課長からではなく、同期の子から連絡を入れているだけ」かもしれないし、

「上司と先輩が各々担当を決めて、上司が同期の子に、先輩がサトウさんに連絡をしている」だけかもしれないし。

本当のところは、上司に聞いてみないとわかりません。

でも、同じ事象をみて”何を感じるかは”人それぞれで、「怒り」を感じる人もいれば「悲しみ」を感じる人もいる中で、佐藤さんは「私を見てくれない」という寂しさを感じたんですよね。

それは、サトウさんの中にもともと「私を見てくれない」という寂しさが存在していたことを教えてくれています。

サトウさんの中に、過去に経験した痛みが癒えないまま残っているから、同じようなシチュエーションに遭遇すると、感情がうずいてしまうんです。

例えば、サトウさんが幼少の頃に、ご両親が「自分以外の兄弟ばかりを見て、私を見てくれなかった」とか、「仕事ばかりしてて、私を見てくれなかった」とか。

そういったことに、お心当たりはありますか?

幼少の頃の寂しさが今も残っているのだとしたら、小さなサトウさんにとって、それはよっぽど辛い出来事だったはずです。

もしもカウンセリングの場でしたら、サトウさんの痛みの元となる出来事を探り、痛みを癒すことをしていきます。

そうすることで、その後同じシチュエーションに遭遇しても感情にのまれず、フラットに状況を眺められるマインドに整えていくことができます。

 

また、「見られたら見られたで鬱陶しいし重い」と感じるのは、先輩の時と同様「一定の距離をとりたい」という理由からだと思われます。

よって、もしもサトウさんの中に「私を見てくれない」という寂しさが存在していなかったら、「あれ~?」とは思いつつも「ま、いっか。連絡こなくてラッキー」となっていたかもしれませんね。

 

        *****

 

サトウさんのご不明点は解消できましたでしょうか?

ご質問の回答は以上となりますが、さいごにあと1点だけ。

私の中で、「あの子の方が学歴あるし、必要だからなんじゃないか」、「でも、一人暮らししてて近くに家族もいないからなんじゃないか」(私は実家暮らしです)、「そもそも診断名がちがうから比較できることじゃない」と悶々としてます。

これはサトウさんの「課長に対する悶々とした想い」を引用したものですが、
この部分を読んで、これから社会復帰をされるサトウさんに、こんなことをお伝えしたくなりました。

 

私は仕事場で新卒スタッフの研修にも携わっており、毎年多くの新人さんと関わっています。

すると、人の成長というのは、環境に適応できる力も、実力を発揮し始める時期も、その過程は本当に人それぞれであることが、とてもよく見えるんです。

要領よくすぐに周りに適応しサラっとこなしていく人もいれば、
はじめは器用にできなくても丁寧さと実直さで力をつけ不可欠な存在になっていく人もいます。

 

サトウさんが職場に復帰した直後は、いろいろな場面で、休職のブランクを感じる場面があると思います。

そして、この引用にあるように、同期の子と自分とを比較してしまうこともあるかもしれません。

でも、そもそも人それぞれのペースで前に進んでいるものなので、サトウさんはサトウさんのスピードで進んでいけば大丈夫です。

 

また、復帰直後は、久しぶりの環境に馴染んでいくことや、病み上がりの体の「不安定さ」と付き合っていくことなど、
本業務のほかに「負荷のかかること」があると思います。

体調を崩す前には普通にできたことがサクサクとこなせなくなっていたり、
体調を崩す前のペースで無意識に体を動かして、思いのほかヘトヘトになっちゃうこともあったりして。

そういったことで気持ちが小さくなってしまわないよう、「今できることをやればOK」という気持ちで臨んでほしいなぁと思います。

ゆっくりと体を環境に慣らし、サポートが必要な時には誰かを頼りつつ、マイペースで進んでいってくださいね。

 

サトウさんの職場先輩も、このようなことをお伝えしたくて、たびたび連絡をくださっているのかもしれません。

支えてくれる方が職場で待っていてくださるのでしたら、安心ですね。

サトウさんのこれからを応援しております!

 

 

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逃げ出したいけどその気力もない[ココロノマルシェ]

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心理カウンセラーのリエコです。

今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。

ココロノマルシェとは

根本裕幸カウンセラーの「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラーが、寄せられたご相談にお答えする、お悩み掲示板です。 

+++【ご相談】++++++++++++++++++

好きや幸せを感じません

過去も今も何があったわけでもないのにボロボロで気力がなく何もしたくありません。

昔よく自分の状態を伸びきったゴムのようだと感じてましたが今は摩耗しきって切れてしまい、修復するにも素材自体の劣化が激しく使用不可能で処分待ちという感じです。

 

小さな挫折は人並みにはありました。

受験や就活の失敗、チャンスを何度となく活かせなかったとか。

両親とも健在で経済的には裕福ではありませんでしたが人並み(中流の下の方)
虐待や過干渉はありませんが、母と私で親子逆転はあったと思います。

うちの家族は父と私が親で、母と兄が子供という感じです。

 

こんな摩耗状態で気がつくとオールドミスで仕事も這うようにやっており離職が多くここ数年は貯金も貯まらずここ状態で違い将来、親の介護をしなければと思うと逃げたくて仕方がありません。

from コニインさん

+++++++++++++++++++++++++++++

 

コニインさん、はじめまして。
心理カウンセラーのリエコです。

 

疲れきって気力もなく何もしたくない・・そんな辛い状況の中、お気持ちをシェアしてくださってありがとうございます。

「摩耗しきって切れてしまい、修復するにも素材自体の劣化が激しく使用不可能で処分待ち」という言葉から、コニインさんの状況がとてもよく伝わってきます。

 

「過去も今も何かがあったわけではないのに」と書かれていますが、私はご相談文を読んで、コニインさんはきっと与えられた状況の中で一生懸命に頑張ってきた方なんだろうな、と思いました。

パワーが尽きて自分の事もままならないのに、近い将来の親の介護まで「自分の務め」として意識に上がるのは、コニインさんが周りの人を支えてきた方であり、「相手によかれ」ということを先取りしてやってきた方だからこそ、ですよね。

 

だから、コニインさんがこんなにもボロボロで、気力を失うほど消耗しているのは想像に難くないし、

そんな中で、今の自分には背負いきれないであろう重たい現実につぶれされそうになって、ご相談くださったのではないかなと思います。

 

        *****

 

コニインさんがご相談くださったこの問題。

それは、物心ついた頃からずっと習慣になっているものの中に、原点があるのではないかと思いました。

具体的に言うと、家族の中でいちばん小さなコニインさんが、お母さんの”親役”を担い、お兄さんの”親役”を担ってきたことです。

うちの家族は父と私が親で、母と兄が子供という感じです。

その意識が子供の頃から続いているのであれば、
コニインさんは小さな頃から「与えること」「支えること」「自分でしっかり立つこと」を、ごく自然に、当たり前のように受け入れ、こなしてきたのかもしれません。

小さな子供には、負担の大きなことだったのではないでしょうか。

もしかしたら、自分の事を後回しにして、お母さんやお兄さんにパワーを注ぐようなこともあったのかもしれませんね。

でも、どうしてそこまでのことができたのでしょう?

小さな子供であれば、お兄ちゃんと同じように「子供らしくある」ことを選択し、親役など担わないことだってできたはずです。

でもそうしなかったのは、コニインさんがご家族のことが大好きで、小さいながらも救いたい気持ちがあったからではないでしょうか?

そして、家族みんなが幸せであるために、家族の中のバランスをとるべく、「与える」という役割を自然に受け入れてこられたのではないでしょうか。

 

そんな思いやりのあるコニインさんですから、お父さんにも思いきり頼れなかったのではないかということも、想像に難くありません。

だって、コニインさんまで頼ってしまったら、お父さんの負担がさらに大きくなってしまいますもんね。

既に「与える」ことを経験しているコニインさんですから、自分も一緒になって、お父さんに甘えることは、できなかったのではないでしょうか。

もしもそうなら、小さなコニインさんを取り巻く環境は、子供らしく親に甘えることも、安心して頼ることも、封印しなければならなかったのかもしれません。

 

そのようにして家庭の中で培われたスタイル(役割)は、社会的なつながりのあらゆる場面で「コニインさんのスタイル」として繰り返されていきます。

例えば、
学校では、気づけば面倒な役割をかって出ていたり、
職場では、気づけば同僚のサポートやフォローをする役回りをしていたり。

 

特に「お母さん」や「お兄ちゃん」のようなタイプの方が身近にいると、与えたり、助けてあげたり、支えてあげたり、といった役割にまわってしまうこと、ありませんでしたか?

同様に、周りの人に「甘える」「頼る」といったことは、あまりなかったのではないでしょうか。

それも、コニインさんが子供時代から培い、馴染んできたスタイルだからです。

 

周りの人を「支え」、
ときには自分を二の次にして「与え」、
「自分でしっかり立つこと」をしながらも、
誰かに「甘えること」「頼ること」は封印する。。

それがずっと続いてきたのであれば、
伸びきったゴムのように消耗してしまうことも、
ボロボロで気力がなくなってしまうことも、
何もしたくなくなってしまうことも、
よく理解できます。

 

でも、いま直面しているこの現実を「問題」と捉え、ココロノマルシェにご相談くださったのは、コニインさんにとって今が大きな節目だからだと思うのです。

そして、「ボロボロで気力がなくて何もしたくない‥」の心の奥底には、
「この現状をどうにかしたい」の気持ちがあるのではないでしょうか?

 

この節目がコニインさんの安らぎにつながりますよう、
ご相談文を読んで私が感じたことを書いていきたいと思います。

 

        *****

 

まずは、休息しましょう。

ボロボロで気力がなく何もしたくありません。

こんな摩耗状態で気がつくとオールドミスで仕事も這うようにやっており離職が多くここ数年は貯金も貯まらずここ状態で違い将来、親の介護をしなければと思うと逃げたくて仕方がありません。

コニインさんは今、力を出し尽くしちゃったような状態だと思うんです。

もうボロボロで、ゆっくりと心身を休めたいのに、
「今の不安事」や「将来の心配事」に駆られてしまい、
頑張らないといけないって思うのに、もう頑張れない。
そんなしんどい現実から逃げ出してしまいたいのに、その気力すらわかない。。

そんな感覚をお持ちなのではないでしょうか?

 

不安に駆られた時って、思考はどんどんネガティブな方向に向かいます。

心と体はとても密接につながっているから、体が元気じゃないと、心も元気にならないんですよね。。

なので、今のコニインさんの状態でいくらもがいても、よい方向には運びそうもありません。

であれば、いちど「徹底的に自分を休ませてあげる」ことをしてみませんか?

そのために重要なのは、「思考の声を、自分から切り離すこと」だと思っています。

 

実は、私にもコニインさんと似た経験があります。

参考になるかわかりませんが、ちょっと書いてみますね。

頑張りすぎて疲れてしまい、気力が消え去って、何にもしたくなくなっちゃったんです。
なのに私には「頑張らないと、これまで積んできたことがなくなっちゃう」という思い込みがあり、そんな不安の沼にすっぽりと覆われていました。

ぺちゃんこな自分の心を引き上げようにも、不安に包まれた私の心には、やりたい事も欲しいものも何ひとつ浮かばず。。まるで心が死んでしまったようでした。

「どうにか自分を助けなければ」

そんな想いから、あれこれやってみた末に辿り着いたのは、「思考の声から逃げること」。

心の中の不安をかきたてるのは、だいたいにおいて「思考」です。

未来の心配事も、過去の後悔も、いま目の前に起きていることではないのに、頭(思考)が勝手に思いめぐらせて自分に囁いてくるから、心が掻き立てられてしまうんです。

その声に抗うパワーがないなら、逃げるしかありません。

とにかく「思考」しないための方法を探り、効果が感じられたのは、これでした。

①五感に集中する
「感覚」と「思考」って同時には働けないんです。
五感に集中する、という瞑想もあるくらいなんですよ!
味わう事、香りを嗅ぐ事、美しいものを見る事、好きな音楽を聴く事、など。

②体を動かす。
体感に集中して体を動かします。①と同様の効果があります。
散歩、ストレッチ、など。

③韓流ドラマを観る
実は、私にいちばん効いたのは「韓流ドラマ」でした。稚拙でお恥ずかしい!
韓流ドラマは視聴者をドラマの世界に引き込むのがとても上手で、感情もたくさん揺さぶってくれるので、キュンとウキウキの世界に簡単にトリップできます。
どっぷりと浸かっている間は思考がストップしているし、ゴロンとしながら楽しめる気軽さも最高なんです。

 

あ、もしかしてこれを読んで「心理カウンセラーなのに、逃げるって!」って思いましたか?

自分を守るために「逃げるという選択肢を持つ」ことは、悪いことでもずるいことでもないんですよ。

選択肢がない状態って、自分を追い詰めます。

でも、「逃げる」という選択肢をもつだけで視野が広がることもあるし、
その場から一旦「逃げる」ことで英気を養えたら、再びトライすることだってできるのです。

師匠の根本さんも、著書「逃げる技術」で、「逃げる技術は、ある人にとっては”人間らしさを取り戻す技術”である」と書いています。

今のコニインさんにとても響く本ではないかなと思います。

よかったら読んでみてください。

 

コニインさんは、これまで周りの人に与えてきた思いやりを、自分に注ぐ時なのだと思います。

もしも不安だったら、休養の期間を決めてみるのはいかがでしょう?

「ひとまず1か月間は、徹底的に休む!自分に甘々にする!」って。

コニインさんが少しでも心地よく在るように、できる範囲でやり方を工夫して、全力で労わってあげてほしいなと思います。

十分に休息がとれたら、「うん、もう大丈夫!」って思える時がちゃんときます。

そのときに再び課題に向き合ってみると、ボロボロな状態の今より視点が上がっているので、まったく違う景色が見えますよ!

 

        *****

 

さて。ここからは、「十分に休息して元気が戻ってきたあと」で取り組んでみてほしいことを3つ書いていきたいと思います。

もしもいいなと思うことがあれば、ぜひ取り組んでみてください。

 

 

自分に寄り添うこと。

1つ目は、「自分の中に、自分の味方を育てること」です。

過去も今も何があったわけでもないのにボロボロで気力がなく何もしたくありません。

コニインさんがそんな風につぶやいた時、
「そうなんだね、とてもしんどくなっちゃってるんだね。」
「何もしたくないなら、ひと休みしたらどうかな?」
「だって気力がわかないんだもん、しょうがないよね。」
そんなふうに声を掛け、そばに寄り添って優しく支えてくれる人がいたら、とても心強いと思いませんか?

そんな存在が「コニインさんの中」にいたらいいな、と思ったんです。

良い時も、そうでない時も、いつも自分が自分に寄り添って、慰めてくれたり、応援してくれたり、背中を押してくれたり。。
そんな「自分のいちばんの味方」であり「自分の理解者」を、自分の中に育てるイメージです。

 

そのためには、まずは「自分に寄り添えない自分」「自分を責めている自分」の存在に気づくことからかな、と思います。

もしも自分を責めている自分に気付いたら、
「あー、私はこんな言葉を自分に掛けてきたんだな」
「私ってこんなに自分に厳しいんだな」

と思うだけOKです。

そして気づいた時には、
「もしも大切な友達だったら、どんな言葉をかけてあげたいかな」
と思い浮かべながら、再び自分に声を掛けてあげてください。

少しづつ自分との距離を縮めていけたらいいですね!

 

 

お母さんとの関係を整理すること。

虐待や過干渉はありませんが、母と私で親子逆転はあったと思います。
うちの家族は父と私が親で、母と兄が子供という感じです。

コニインさんは子供の頃からずっと「私はお母さんを支える役割を担っている」という意識を持ってきたのかもしれません。

ご相談文に記載がないのでわかりませんが、きっと、そうならざるを得ない状況があったんですね。

 

役割って人を縛ることがあります。

「支える人」がいるから、「支えられる人」ができるんですよね。

そしてそれが、癒着という関係を生む要因にもなっていきます。

また、意外と盲点なのが、自分の意識の中では「お母さんのために、その役割を請け負った」と思っていても、
実は「私がお母さんのそばにいるために、その役割を担っていた」というもの。

コニインさんとお母さんの関係については、詳細が書かれていませんが、これらについてお心当たりはありますか?

どちらにしても、お母さんが大好きゆえに起こるケースだと思います。

 

親子逆転だった子供時代とは違い、現在は、お母さんもコニインさんも大人同士です。

コニインさんの中にあるその「固定されている役割」を、意識の中だけでも外してみるのはいかがでしょう?

  私は私、お母さんはお母さん。
  お母さんは、私がいなくても大丈夫。
  私は、お母さんがいなくても大丈夫。
  お母さんは、自分の力で自分を支えることができる。

声に出して読んだ時、どんな気持ちになりますか?

お母さんとの関係が整うことで、コニインさんが無意識に抱えてきた何かが軽くなるのではないかなと想像しています。

 

 

自分ひとりで頑張らないこと。

コニインさんは何かと「人を頼らず、自分でやる」ことをしてきた方なのではないでしょうか?

「手伝うよ」と言われても「大丈夫!」と言って自分でこなしたり、
自分では抱えきれない大きな仕事も、誰かに助けてもらう発想もないまま、ひとりでこなそうと頑張ってみたり。
これまでそういうことって、ありませんでしたか?

もしも今回の困り事が「コニインさんにとって必要だからおきたこと」だとしたら、「人に頼ることができるようになること」ってとても大きなテーマじゃないかなと思ったんです。

そうはいっても、頭ではわかっているのに行動するのが難しいのが、このテーマでもあります。

これまで「人に頼る」「甘える」をしてこなかった人が、いざ頼ろう、甘えようと思っても、どうしたらいいのかもじもじしてしまうし、
だったら自分で・・ってなってしまうんですよね。。

でも、もしもそんな自分の性質にご自覚があれば、ぜひトライしてみていただきたいと思います。

 

もしもそんなシチュエーションが訪れて、人に頼ることができなくても、
「あ、また人に頼ることができなかったな」
「つい何でも自分でやろうとしちゃうんだよね‥」
と自覚できるようになるだけでも、大きな進歩です。

そして、意識的に「頼る」ことにトライし続けてみてください。

そうすることで、抱え込まない事を自分に慣れさせてあげてほしいなと思います。

 

仕事場では、できることとできないことを振り分け、できないことは誰かに頼ればいいし、

親の介護問題も、ひとりで抱え込まずに、兄弟2人で支え合えばいいと思います。

コニインさんの中で、お兄さんは「子供ポジション」なのかもしれないけど、もう大人の年齢ですよね。
もしかしたら頼りなく感じてしまうのかもしれないけど、ずっと抱えてきた「兄の親役」という役割を手放して、大人同士の関係にシフトしてみるのはどうかなと思います。

お兄さんも、いつもはしっかり者の妹が頼ってきたら、嬉しいかもしれませんよ!

 

ざっくりと書いてきましたが、ひとりで難しいことがあれば、カウンセラーのサポートを頼ってくださいね!

 

        *****

 

ご自分のことを「伸びきったゴム」のように感じていた昔から、現在に至るまで、
コニインさんが病気にもならずに過ごしてこれたのは、もともとのパワーがとてつもなく大きい方だからかもしれません。

その器にパワーが戻った時、きっととてもたくさんの魅力や才能が花を開くのではないかなぁと想像しています。

まずはゆっくりと体と心を休めて、十分にパワーを蓄えてくださいね!

そして、新しいスタイルにシフトチェンジしたコニインさんが、本来の自分らしさを発揮できますよう、応援しています。

 

 

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好きや幸せを感じません。慢性的な問題との向き合い方。[ココロノマルシェ]

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心理カウンセラーのリエコです。

今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。

ココロノマルシェとは

根本裕幸カウンセラーの「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラーが、寄せられたご相談にお答えする、お悩み掲示板です。 

+++【ご相談】++++++++++++++++++

好きや幸せを感じません

元々食べることが好きな私の妹は、美味しいものを食べたとき、又は可愛いと思った服などを買ったとき、「あーー、幸せ(ハート)」と言います。

私は、美味しいものを食べても可愛いと思ったものを買っても、幸せとは思わないんです。

どこかにある重いものを心に感じます。

 

また、優しい人と言われたとしても、嬉しくありません。

私は人に嫌われるのが怖くて優しいだけだからと思ってしまいます。

幸せ、好き、嬉しいを感じることができたら楽なのにと思います。

from ヨウコさん

+++++++++++++++++++++++++++++

 

ヨウコさん、はじめまして。
心理カウンセラーのリエコです。

 

美味しいものを食べても、可愛いと思ったものを買っても、純粋に「幸せ!」と感じられず、重いものを感じてしまう。。

その感覚は、同じ状況で「あー、幸せ!」と言って喜んでいる妹さんを見ると、余計に大きく感じられてしまうのかもしれません。

せっかくハッピーを感じられても、そのたびに重い気持ちがついてくならとても残念だし、「私も"あー幸せ!"って感じたい!」と思っちゃいますよね。

せっかく同じ経験をするなら、ただ純粋に「幸せ!好き!嬉しい!」って思いきり感じたいですものね。

 

        *****

 

ヨウコさんのご相談文を読んで、まず私が感じたのは「窮屈さ」でした。

美味しいものを食べても、可愛いと思ったものを買っても、純粋に「幸せ」と思えず、どこか重いものを感じてしまったり、

優しいと褒められても言葉通りに受け取れず、喜べなかったり、

人に嫌われるのが怖くて、自分を出せなかったり、

幸せ、好き、嬉しい、といったポジティブ感情を思いきり感じることができなかったり。

それって、地味にしんどいことですよね。。

ヨウコさんは、何か押さえつけられているようなこの「窮屈さ」をつらく感じて、ご相談くださったのではないかと思ったのですが、いかがでしょうか?

 

        *****

 

この窮屈さは、どこから来るのでしょう?

私はこの部分にヒントがあるのかな、と思いました。

また、優しい人と言われたとしても、嬉しくありません。
私は人に嫌われるのが怖くて優しいだけだからと思ってしまいます。

ヨウコさんの中には「嫌われるのが怖い」という気持ちがあって、
日頃は周りの人に寄り添ってあげることが多いのかもしれません。

でも、どうして「嫌われる」ことに怖れを感じるのでしょう?

それは、ヨウコさんご自身が、ご自分の中に「周りの人に嫌われる要素」があると感じているからではないでしょうか?

この感覚にお心当たりはありますか?

 

 

また、この部分からは、ヨウコさんが感情に蓋をしていることがうかがえます。

私は、美味しいものを食べても可愛いと思ったものを買っても、幸せとは思わないんです。
どこかにある重いものを心に感じます。

幸せ、好き、嬉しいを感じることができたら楽なのにと思います。

今のヨウコさんは、「美味しい、可愛い!」「幸せ、好き、嬉しい!」といったポジティブな感情を、純粋に感じることができていない状態にあるようです。

ポジティブな感情を感じるって、本来なら”喜び”でしかないはず。

でも、自分自身を肯定できていないから、”感情”を感じるたびに、それを思考で抑えたり、感じないよう蓋をしてしまったりして、純粋に感じられなくなっちゃうのかもしれません。

 

ヨウコさんは、自分の中の何かが表にでることを怖れ、同時に感情にも蓋をしているようです。

では一体、何を怖れているのでしょう?

 

        *****

 

私は「問題とは、あなたに何かを伝えるために起こるもの」と考えています。

この視点でこの問題を眺めた時、そこに在るメッセージは、
「自分を抑えつけているものから自分を解放して、もっと自分らしく生きなさい」ということではないかと思うんです。

 

嫌われることを怖れ、表に出さないようにしているもの。

それは、ヨウコさんの「個性、能力、才能、魅力」です。

おそらくですが、過去に「ヨウコさんらしさ」を表に出すことで、傷ついたり、痛みを感じる出来事があったのではないでしょうか?

そして、その痛みを感じないために、感情に蓋しなければならなかったほど、ヨウコさんの感性はとても豊かなのだと思います。

本来はとても大きなパワーを持っていて、それを発揮したら大変なことになるって知っているから、それを怖れて出せないし、動けない。。

今のヨウコさんは、そんな状態にあるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

 

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ここで鍵となるのが、ヨウコさんの「なりたい自分」のビジョンです。

ヨウコさんが、人から嫌われることを怖れずに、持ち前の魅力を最大限に開き、のびのびと自由に才能を発揮して、思いきり感情を感じたら、どんな生き方になると思いますか?

ぜひこの機会に「こんなふうに生きたい」というビジョンを描いてみてほしいなと思います。

 

といっても、これまで感じることに蓋をしてきたヨウコさんには、「感じること」「ビジョンを描くこと」って、難しいかもしれませんね。

であれば、まずは「自分を知る」ことから始めるのはいかがでしょう?

自分が楽しく心地よく生きる「自分のビジョン」を描くために、まずは、好きな事/嫌いな事、できること/できないこと、得意な事/不得意なこと、から掘り下げていくんです。

好きな事だけじゃなくて、嫌いな事も知っておくと、自分の好みをより一層把握できますし、

また、できること&できないこと、得意&不得意を知ることは、不快や苦痛から自分を守るための手掛かりになります。

自分のことをよく知ることは、「自分に合った生き方」を描く上で不可欠ですし、
自分と仲良しになることは、自己嫌悪を和らげ、自己肯定感を上げていきます。

 

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「自分の偉大さを受け取ることでしか、慢性的な問題は癒せない」

これは、根本カウンセラーの言葉です。

「慢性的な問題」とは、何度も繰り返し起きている問題のことで
ヨウコさんで言うところの「自分らしさが表にでることを怖れ、抑えつけること」。

そして「自分の偉大さ」とは、「ヨウコさんの魅力や才能」です。

すなわちこの言葉は、「ヨウコさんがご自分の魅力や才能を発揮することでしか、窮屈さは癒せない」ということを伝えてくれています。

 

怖れがあって表に出すことができなかったのに、「出すことでしか癒せない」って!

酷なことではありますし、
そのビジョンに向かって前に進むことは、とても強い心が必要です。

怖れと戦う‥ということですものね。。

でも、この問題が起きた今、ヨウコさんは次のステージに進むタイミングなのかもしれません。

この機会に、是非ご自分のビジョンを描いてみてはいかがでしょうか?

そして、「自分で自分に課している制限を外すこと」にトライしていきませんか?

抑えつけないと生きられないほどの「強大なパワー」をお持ちのヨウコさんですから、きっと乗り越えられると思います。

でも、”怖れとの戦い“に心が折れそうになった時には、カウンセラーを頼ってくださいね!

 

少し抽象的な話になってしまいましたが、参考になりましたら嬉しいです。

そうそう、慢性的な問題といえば、根本師匠&椙山眞伍カウンセラーが「慢性的な問題を愛で癒す1DAYセミナー」を開催しますよ!  

nemotohiroyuki.jp

ヨウコさんの新しい世界が大きく花開きますよう、応援しております!

 

 

心理カウンセラー リエコ

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