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心理カウンセラーリエコのブログ

自分の潔癖さを緩めたい[ココロノマルシェ]

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心理カウンセラーのリエコです。

今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。

ココロノマルシェとは

根本裕幸カウンセラーの「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラーが、寄せられたご相談にお答えする、お悩み掲示板です。 

+++【ご相談】+++++++++++++++++++++++

自分は潔癖なのか、何か原因があるのか

最近気になっているのですが、私は身につける下着や服、特に肌にあたる部分が床についたりすると絶対洗わないと使いたくないと感じたり、落としたりした時にイライラします。

「床は汚いもの」と感じているのかどうか、掃除をしたからといってそれがなくなるかどうかはよくわかりません。

食事等でも、テーブルに落ちたものは食べられないので、それが同じなのかどうか…

でも、他のことで「過度に清潔を保ちたい」「他人が触ったものを触れない」ということもありません。

そして、sexで自分の大切な部分に触れられる時、する前に相手に手を洗ってほしいと思って、言ってしまいます。

今までは、服を落とした時、自分が触られる時、それぞれの場面で感じるだけでしたが、ふと、自分に直接的に触れるものに対して敏感なのか、これらが繋がっているのではないか、と感じはじめました。

こういったことがカウンセリングの対象になるのかわかりませんし、
何か原因のようなものがあるのかわかりませんが、対人関係に関することは緩めたいと感じています。

よろしくお願いいたします。

from tomoさん

+++++++++++++++++++++++++++++

 

tomoさん、はじめまして。
心理カウンセラーのリエコです。

 

「潔癖」という言葉って、とてもパワフルなワードだなと思います。

「清潔感へのこだわり」と言い換えるとそれほどでもないのに、
この単語を用いただけで、なにか”病的なもの”のような印象を感じさせてしまうから不思議です。

 

tomoさんも、ご自分なりの「清潔感へのこだわり」をお持ちとのこと。

でも、対人関係においては、そのこだわりを緩めていきたいなと考えて、ご相談くださったんですね。

tomoさんのお話をうかがって、私が感じたことを書いてみたいと思います。

 

        *****

感じ方のこだわりって、誰もが何かしら持っているものではないかと思います。

特に「清潔感」においては、本当に人それぞれの感じ方がありそうです。

 

そう言われてみると・・私にも「清潔感へのこだわり」があります。

私は、水が溜まってニュルっとなるのが嫌なんです。

なので、お風呂と台所は、使用後にできるだけ水滴が残らないよう拭きとります。

洗面所の水滴はぜんぜん気にならないんですけどね・・なんでだろう?

考えたことがなかったけど、これもきっと、私なりのこだわりなのだと思います。

 

ご相談文を読ませていただくと、
tomoさんが気になっている点は、このようなことでした。

● 身につける下着や服、特に肌にあたる部分が床についたりすると絶対洗わないと使いたくないと感じたり、落としたりした時にイライラする。

● 食事等でも、テーブルに落ちたものは食べられない。

● sexで自分の大切な部分に触れられる時、する前に相手に手を洗ってほしいと思って、言ってしまう。

これらの共通項は、
◆見えない菌の存在がこわい
◆見えない菌が体に入ることがコワイ

といった感じなのかなと思ったのですが、いかがでしょうか?

 

でも、他のことで「過度に清潔を保ちたい」「他人が触ったものを触れない」ということもありません。

どうしてそのような感覚を持つようになったのかは、詳しくお伺いしてみないとわかりませんが、気になるポイントが部分的なものであることから、考えられる理由としては、
◆過去に、菌が入って炎症を起こしたことがある。または、不安になったことがある。
◆小さい頃に「菌が入ると病気になるよ」といった言葉を掛けられ、今も深く印象に残っている。

このようなことかなと思うのですが、お心当たりはありますか?

 

tomoさんが気になるポイントやその経緯については、tomoさんにしかわからないことなので、ご自分のこだわりを知る意味でも、いちど掘り下げてみるといいかもしれません。

 

        *****

 

物事の感じ方や感覚って、その人ごとに違うものです。

なのに、それを「普通の人は気にならないのに、自分は気になってしまう」と受け取ってしまうと、つい「私は異質だ」と感じてしまいがち。

 

でも、「普通」というのは、単なる多様性の平均値です。

感じ方が全く同じ人なんて存在しないし、人それぞれであるならば、
tomoさんは異質でも何でもないと、私は思います。

 

もしかしたら、tomoさんがそうした感覚を持つようになったのは、何かしらの原因があるのかもしれませんし、もしもそれがわかるなら、程度を緩めることができるかもしれません。

でも、「感覚はひとそれぞれ」という考え方に沿うならば、これは乗り越えなければならない問題でもない気がします。

tomoさんのその感覚を、誰かに合わせたり、無理に変えたりしないで、
「この感性はわたしの個性」と認め、大切にしていかれてもいいのではないかと私は思うのですが、tomoさんはどのように感じられますか?

 

床についた服を「洗わないと使いたくない」と感じたり、
テーブルに落ちた食べ物を食べなかったり。

それは、tomoさんが自分の感覚を大切にして、自分を守ってあげている行為です。

そうすることで安心や安全を感じられるんですものね。

自分を安全な場所に置くために、不快から自分を守ったり、配慮してあげているだけです。

 

もしかしたら、今はその性質が顔を出すたびに「あぁまた潔癖が出てる・・」とストレスに感じてしまうのかもしれませんね。

でも、それらは「自分を愛する行為」にほかなりません。

とても優しい、自分への思いやりです。

 

何か原因のようなものがあるのかわかりませんが、対人関係に関することは緩めたいと感じています。

sexで相手に「手を洗って欲しい」って、たしかに言いにくいものがありますね。

言い方によっては、相手の手を汚く感じているように思わせちゃいますもんね。

でも、この感覚はtomoさんの大切な個性なので、なかったことにしないで、そのまま伝えたらいいと私は思います。

tomoさんを大切に想ってくれる人なら、トモさんの感覚も大切にしてくれるのではないかと思うからです。

 

        *****

 

tomoさんのお知りになりたかった「清潔感へのこだわりを緩める方法」ではない回答になってしまいましたが、ご相談文を読んで感じたことを書いてみました。

なにか参考になりましたら幸いです。

ご相談をお寄せくださり、ありがとうございました!

 

 

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自分が本当に好きな事、やりたい事がわかりません[ココロノマルシェ]

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心理カウンセラーのリエコです。

今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。

ココロノマルシェとは

根本裕幸カウンセラーの「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラーが、寄せられたご相談にお答えする、お悩み掲示板です。 

+++【ご相談】++++++++++++++++++

何をしていても楽しくない

私は長年、自己犠牲精神こそ美しいというような教育を受けたせいで、自分の事を後回しにしてきました。

そのせいか自分が本当に好きな事、やりたい事がわかりません。

大好きを極めてライフワークにしたいと思い、思いつくものを手当たり次第やってみましたが、長続きしません。

本当に好きな事を見つけるにはどうしたら良いでしょうか?よろしくお願いいたします。

from けいさん

+++++++++++++++++++++++++++++

 

けいさん、はじめまして。
心理カウンセラーのリエコです。

 

自分の「大好き」を極めてライフワークにしている人って、とても楽しそうだし、輝いていますよね!

けいさんも、そんな生き方を求めて、ワクワクのライフワークを探していらっしゃるのかなと思います。

でも、肝心の「自分が本当に好きな事、やりたい事」がわからなくてご相談くださったんですね。

けいさんが「本当に好きなこと」に出会えますよう、
ご相談文を読ませていただいて私が感じたことを書いていきたいと思います。

 

        *****

 

私は長年、自己犠牲精神こそ美しいというような教育を受けたせいで、自分の事を後回しにしてきました。

長年の教育・・とあるので、ご両親もそうした価値観の方なのかもしれません。

ということは、けいさんの「自分の事を後回しにしやすい性質」は、物心ついたころから、けいさんの中に根付いている習慣ということになりますね。

「自分のことは自分では気づきにくい」といいますから、けいさんがその性質を自覚されたことは、とってもとっても大きな気付きですね!

そして、けいさんも書かれている通り、「本当に好きな事を見つける」が上手く運ばなくなっている根本も、ソコにあるのかもしれません。

 

自己犠牲精神・・という言うと陰鬱な響きですが、
けいさんは、物心ついた頃からずっと、自分のことを後回しにして、周りの人に愛を注いできた方なのだと思います。

そして、相手の身になって考え、相手が求めていることを察して、相手によかれと思うことを与えてきた方なのではないでしょうか。

きっと、けいさんに助けられた人、救われた人、癒された人たちは、たくさんいるはずです。

 

でも、そのためには「常に周りにアンテナを張っている状態」でなければなりません。

それでは、自分の感じていることが二の次になってしまうのも、無理はありません。

時には、相手や周りの状況に沿うために、自分の感情に蓋をすることもあったかもしれませんね。

そうしているうちに、どんどん「自分の感覚」から遠ざかって、どんどん「心の声」のボリュームが小さくなっていく。。

それが、今のけいさんなのではないかと思います。

 

そんなけいさんが、「本当に好きな事」をみつけるためにはどうしたらいいのか?

私からは3つの提案をさせていただきたいと思います。

 

        *****

 

1つ目。

まずは、思考から離れること。

 

大好きを極めてライフワークにしたいと思い、思いつくものを手当たり次第やってみましたが、長続きしません。

けいさんは今、自分の「好きなこと」への感度が弱くなっている状態ですから、おそらく「思考」を使って、思いつくものを手あたり次第にやってこられたのだと思います。

そして「あれかな、これかな」と探して、挑戦して、違っていて、心が折れて、もうどうしたらいいのかわからない。。そんな状態でご相談くださったのではないでしょうか?

 

思考で選ぶ「好きな事」って、こんな要素が入りやすいと思うのです。
・これがライフワークだったら素敵なのに
・これなら、○○にも役立つし、一石二鳥だわ
・これなら、○○ちゃんと一緒に楽しめそう

 

でも、「好きなこと」って”思考”ではなく”感情”が喜ぶことですよね。
・楽しいな
・心地いいな
・ウキウキ、ワクワク

 

そこで、いちど「好きな事を見つける作業」をお休みしてみませんか?

・・そう言うと、けいさんは「え?」と思わるかもしれません。

早く見つけたいのに。一刻も早く前にすすみたいのに。その方法を知りたくて相談したのにー!

そんなお声が聞こえてきそうです。

だってそれは、「好きな事を見つけたい」という望みとは真逆のことですものね。

でも、もしかしたら今のけいさんにとって、何より一番必要なことじゃないかなと思っています。

 

 

けいさんは、とても頑張り屋さんです。

物心ついた頃から常に周囲にアンテナを張り続け、
自分の「心の声」を二の次にして周りの人に愛を注ぎ、
ご自分の「犠牲しやすい性質」を自覚するまでには、きっと何かしらの学びや経験をしてきたのでしょうし、
その後は自分の「大好き」を探すべく、手あたり次第に挑戦してこられました。

とてもパワーを要することばかりですよね。

それをずっと続けてこられたのですから、無意識かもしれないけど、ずっと緊張状態だったはずです。

 

でも、「好きで楽しい世界」って、リラックスの中にあります。

だからいちど、「思考で頑張ってきた世界」から離れてみることをお勧めしたいのです。

 

実は、かつて私も、けいさんと同じように「大好きを極めてライフワークにしたい!」と考え、思いつくものを手あたり次第やっていた時期がありました。

4年ほど前のことです。

いろいろなことに挑戦しましたが、「コレだ!」という”確かな何か”に出会えないまま、中途半端に手を出した”ちょい好き”が増えていく日々。

自分の中にあるであろう「大好き」に気付けない自分を責めちゃったりもして。

その後、仕事の忙しさからくるストレスで体調を崩し、3か月の休職を余儀なくされました。

でも、振り返ってみると、結果的に私が”大好き”をみつけられたきっかけは、この「休職」だったんです。

 

その休職の3か月間は、本当に「無駄で生産性のない時間」でした。

体はフラフラだし、考え事をすると頭痛がするし、
いわゆる「強制終了」な状態で、本当になんにもできなかったんです。

そしてこの「無駄で生産性のない時間」は、「自分の人生をもっと良くしたい」と思考的に進んできた私にとって、とても怖いものでした。

だって、なんにも進まないし、何も生まれないのですから。

その頃私ができたのは、何も考えないでぽーっと庭を眺めること、好きなお菓子を食べること、韓流ドラマをみること、お昼寝、くらい。

でも、抗うことをあきらめ、その状態に降参して、ひたすらぽーっと過ごし、十分な休息がとれた頃、私の中にちょっとした変化が生まれました。

それまでは「大好きなことを見つける!」「大好きをライフワークにする!」と躍起になっていたのが、
「健康で心地よく過ごせればいいや、そこに何か楽しいことがあれば十分だ」って思うようになったんですね。

当時はそれもままならなかったからです。

振り返ってみると、それが私にとって、思考が外れたタイミング。

その境地になれた時にやっと、自分がそれまで「不安からやってきたこと」と「好きでやってきたこと」の仕分けができるようになりました。

そして、「心の世界をもっと学びたい」って気持ちが自然に沸き上がって、やってみたらどんどん大好きになって、それがライフワークに繋がっています。

 

伝わりましたでしょうか?

思考に囚われた状態だと、自分の心の声が聞こえにくいよ、という実例でした。

「思考から離れる」って言われても、なかなかピンときづらいかもしれませんね。

でも、自分の感情や、自分が「本当に好き」って思えることと繋がるためには、不可欠なステップじゃないかと思っています。

やってみてうまくいかなければ、カウンセラーを頼ってくださいね。

 

        *****

 

2つ目。

自分とつながることで、「好き」の世界を広げる。

 

自分の「自己犠牲しやすい性質」に気づくと、

自分に「ごめんね」の気持ちが湧いて、

「もう自分を後回しにしないで、自分のために、自分が喜ぶことをしたい!」
「これからは、自分をいちばん優先する!」

って気持ちになることと思います。

そして、ワクワクのライフワークを生きる自分の姿に期待がふくらんで、

ただの「好き」じゃなない、一生モノにしたい”確かな何か”を探していくんです。

 

でも、「好き」「やりたい」って、探して見つけるものじゃなくて、湧いてくる感情です。

そして、けいさんの”確かな何か”は、1つとは限らないし、もしかしたら「好き」な要素の集合体かもしれません。

 

その境地に近づくために、まずは「自分のことを、とことん知る」ことをしてみてはいかがでしょう?

具体的には、自分の「好きな事」「嫌いな事」、「できること」「できないこと」、「したいこと」「したくないこと」を、それぞれ100個づつ書き出していきます。

この作業は、自分の「感度」を育てることにもつながるので、とてもお勧めです。

100個書き出すとなると、「大好き」も「ちょい好き」も、何でも思いつくままに書き出していくことになりますが、
どんな小さな”好き”でも「キャッチできる感度」を持てると、日々の「幸せ感」が大きくなるし、それがやがて本当に好きなことへの導線となります。

 

「ちょい好き」を組み合わせることで、好きの世界が広がることもあるんですよ。

例えば、「体を動かすことが好き」+「朝の空気が好き」=「早朝のお散歩が好き」とかね!

 

また、「子供の頃に夢中になったこと」の中にもヒントがあります。

子供の頃に「好き!」と感じたものには、思考が入らないものが多いからです。

損得ナシにただ好きなこと、夢中になれること。

子供の頃の記憶を辿ってみてはいかがでしょうか?

 

けいさんがご自分とつながることで、「好き」な世界がどんどん広がりますように。

 

        *****

 

3つ目。

「自分をいちばん大事にする」ことで、「好き」の世界を広げる。

 

けいさんが「大好き」を見つけたいのはどうしてでしょう?

きっと、「自分を後回しにしてきた自分」を卒業して、「自分をいちばん大事にする自分」になると決めたから、ではないでしょうか。

そうであるなら、まずは徹底的に「自分をいちばん大事にする」をやってみるのはいかがでしょう?

具体的には、日常の中で「好き」を楽しみ「嫌い」を排除し、「したいこと」を優先して「したくないこと」から離れるのです。

そうやって、たくさん自分を喜ばせてあげて、ご機嫌にしていきます。

ご機嫌になってふわっと心が緩んだときの自分がみている世界は、
「自分の好きがわからない」「やりたいことが見つからない」って探しまわっていた時とは全然違うはず。

そんな心地のよい境地に自分を置くことで、もしかしたらけいさんの求める「大好き」が見つかるかもしれません。

 

        *****

 

思いつくまま書いてみましたが、参考になることはありましたか?

きっと、いま「大好きな事でライフワークを生きている」人だって、そこに辿り着くまでの道はまっすぐとは限らず、紆余曲折あったり、手あたり次第やっていく中で出会ったりしているのではないかと思います。

 

けいさんが毎日を楽しむ中で、たくさんの「好き」と出会い、いろいろな経験をしていく中で引き出しを増やしつつ、やがてそれらが絡み合って「楽しいライフワーク」につながっていきますよう、応援しています!

 

 

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自分の思い込みに日々苦しんでいます[ココロノマルシェ]

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心理カウンセラーのリエコです。

今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。

ココロノマルシェとは

根本裕幸カウンセラーの「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラーが、寄せられたご相談にお答えする、お悩み掲示板です。 

+++【ご相談】+++++++++++++++++

どうしたら楽しく仕事できるようになるでしょうか?

「自分は仕事ができない」という思いに日々苦しんでいます。

私の中に、仕事ができる人=アイディア出し、企画、開発など何かを0から生み出せる人、クリエィティビティに溢れている人という思い込みがあるため、それらができない=わたしは仕事ができないという思いに繋がっています。

 

実際自分の仕事は作業系の仕事が多いので、評価されない、つまらない、こんなの私の年次でやる仕事じゃないのにと思ってしまいます。

他の会社の友達とかと比べて、あの子はもっと大きな仕事をしている、責任ある仕事をしている、活躍している、それに比べて自分は全然だし自分にそんな大きな仕事、責任ある仕事は無理と思うー方、あの人達とわたしは何が違うんだろう?私にもできるんじゃない?とも思ったり。

何度か異動をしていますが、そのたびに自分がやっている仕事はつまらなく感じ隣の芝が青い現象に陥ります。

 

学歴の良さも逆にコンプレックスになっています。

仕事ができる人だと思われたい、成果を出したい、認められたい、評価されたいという思いが強い分自分はその反対だという思い込みが強くなります。

どんな仕事でもやりがいを見つけて楽しく仕事できるようになるにはどうしたらいいのでしょうか?

from ダンボさん

+++++++++++++++++++++++++++++

 

ダンボさん、はじめまして!
心理カウンセラーのリエコです。

 

周りと自分を比較してしまうこと、ありますよね。。

そういう時って、たいてい相手の中に「自分にないもの」をみて、重苦しい気持ちになってしまうものです。

 

でも、ご相談文を読ませていただいて私が感じたのは、ダンボさんが比較している対象が、「他の誰か」ではないんじゃないかな、ということ。

そして、自分で自分に「ダメ出し」したり、自分で自分の「価値」を感じられないことが、1番苦しいのではないかな、ということでした。

そんな感覚に、お心当たりはありませんか?

 

        *****

 

自分を否定するとき、どんな人よりもいちばん辛辣なのは「自分」だといいます。

「自分の痛みに寄り添う自分」が不在のまま、「辛辣な自分」に責め続けられるのだとしたら、それはとてもしんどいことですよね。。

 

ダメ出しをしている自分は、周りを見渡して、「ダメな自分」の証拠集めをしていきます。

●私はクリエイティブな仕事ができない(だから私は仕事ができない)。
●このような仕事は、私の年次でやる仕事じゃないのに(担わされている)。
●私だって他の会社の友達みたいに大きな仕事をしてもいいはずなのに(できていない)。
●学歴が良いのだから、もっと活躍できるはずなのに(できていない)。。

そして自分に言うんです。
「ほらね、だからやっぱり私は”仕事ができない”んだ」って。 

 

我に返って
「あの人達とわたしは何が違うんだろう?」
「わたしにもできるじゃない?」
と思っても、”私は仕事ができない”という思い込みが強いと、
「自分にそんな大きな仕事は無理」
「自分には責任ある仕事は無理」
というマインドに引き戻されてしまいます。

本当にダンボさんは仕事ができないのかどうかは別として、です。

思い込みって、オソロシイですよね。。

 

では、ダンボさんが比較している対象って何なのでしょう?

それもやっぱり「自分自身」なのではないでしょうか。

ダンボさんには「こう在りたい」という理想があって、その「理想の自分」と「今の自分」とを比較して苦しくなっている、ということはありませんか?

 

「理想の自分」とは、”思考が作り出した自分”と言い換えることもできます。

ご相談文を読ませていただいて感じたのは、きっとダンボさんて、とても謙虚で、前向きで、真面目で、努力家な方なのだろうなということでした。

そして、ご相談文がとても分かりやすくまとまっているのは、きっと冷静な目をもち、思考的に自分を俯瞰できる方なのだと思います。

自分の学歴、経験してきたこと、勤続年数、同級生の活躍など、様々なものを俯瞰できてしまうと、「こう在りたい」という理想の自分が見えてしまうのかもしれませんね。

どんな仕事でもやりがいを見つけて楽しく仕事できるようになるにはどうしたらいいのでしょうか?

ダンボさんが求めている「楽しく仕事をする」ことは、「感情の自分」が喜ぶことであり、求めていることですよね?

だから、いちど思考の作り出す「理想の自分」から離れて、「感情の自分」が求めている”楽しい”がどんなことなのかを探っていく必要があるのかもしれません。

 

        *****

 

学歴の良さも逆にコンプレックスになっています。 

学歴のよいお仲間たちが活躍されているのをみていると、眩しく感じてしまいますよね。

そうしているうちに、一層「自分への期待」も高まってしまうのは、ダンボさんも同様に”できることがいっぱいある方”だからだと思うんです。

 

でも、思考が”こう在りたい”と考える「ダンボさんの理想の姿」が高くなればなるほど、自分へのプレッシャーになりますし、
高まるほどに「承認欲求」も高まりますから、成果を出さなきゃ、良い仕事しなきゃ、という意識が働いて、自分で自分に課すハードルも上がっていきます。

だから「私には無理」「私はできない」って感じやすくなってしまうのかもしれませんね。

 

        *****

 

どんな仕事でもやりがいを見つけて楽しく仕事できるようになるにはどうしたらいいのでしょうか?

ダンボさんが楽しく仕事をするためには、究極的には「自分をよく知り、自分が”本当に得たいと感じるもの”を得られる仕事につくこと」「自分がいつも自分の味方で、どんな自分にもマルをあげられるようになること」なのではないかな、と思います。

そのために、まずは自分のことをよく知ること。
「良い所」「悪い所」、「好きなこと」「嫌いなこと」をよく知り、本当の意味で「したいこと」「したくないこと」、「できること」「できないこと」を探っていきます。

その上で、カウンセリングの場であれば、以下のようなことをお尋ねしていくと思います。

◆ダンボさんが仕事の「やりがい」を感じるのは、どんな時だと思いますか?
 例えば、
 ・自分の才能を生かせたと思った時
 ・やりたいことがやれている時
 ・人から感謝された時  ・・等

◆ダンボさんにとって仕事とは、「ライフワーク」ですか?「ライスワーク」ですか?
 *ライフワーク=「仕事=いきがい」という考え方。
 *ライスワーク=「仕事=食べていくためのお金を稼ぐもの」と割り切った考え方。

 

ダンボさんにとって、本当の意味で「合う仕事、やりたい仕事」は何かが理解できると、今いるポジションの中にそれを見つけたり、よりよい場所を求めて行動することができます。

例えば、

ダンボさんがやりがいを感じるのが「人から感謝された時」だった場合には、
今の仕事の中に「人から感謝されること」を探したり増やしたりすることをしていくとか、
それが他部署で叶うと感じたなら、異動するための働きかけをしていくという選択肢ができます。

ダンボさんのやりがいが「自分の才能を生かせたとき」ならば、
自分の「できること」の中から”生かしたい才能”を選択し、それが今の仕事で果たせない時には異動や転職という選択もありますし、
”仕事は生活を支えるもの”と割り切って、仕事以外に「才能を生かして楽しむこと」を見つけることもできます。

 

そして、自分の中に「自分の味方」を育てると、
前に進みたい時には、自分を励まし応援したりしてくれる仲間ができるし、
自分をつい否定してしまった時には「そんなことないよ!」と打ち消してくれる仲間が現れます。

これを、「自己肯定感を上げる」ともいいます。

 

        *****

 

ところで、ダンボさんは本当に「できない」のでしょうか?

「私には無理だ」という思い込みがあると、

・頑張っても頑張っても、自分を認められない。
・人から認められることで、やっと自分を認められる。
・チャンスが訪れても、行動に移せない。又はスルーしてしまう。
・向かいたい方向に進めない。

というような状態に陥りやすくなります。

ダンボさんにはお心当たりはありますか?

それって仕事場に限ったことでしょうか?

カウンセリングの場でしたら、ダンボさんがどうしてそのような思い込みを抱くことになったのかを掘り下げ、その「誤解」を解いていきます。

でも、自分を知っていく中で、「私には無理だ」という思い込みも薄れていくのではないかなと思っています。 

 

自分を掘り下げるのは、「思考」ではなく「感情」を使っていく作業です。

「こうあるべき」を外して、ダンボさんの心とつながってみてくださいね!

うまくいかない時には、ぜひカウンセラーを頼ってみてください。

ご相談をお寄せくださり、ありがとうございました!

 

 

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友人の心の穴を埋めてあげたい[ココロノマルシェ]

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心理カウンセラーのリエコです。

今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。

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+++【ご相談】+++++++++++++++++

ずっと応援したアイドルが卒業

「ふと感じる 寂しさ、孤独感を癒す本」を読みました。

120ページから“誰かを応援する”という与える行為で孤独感から自分を救い出すについて。

 

お友達が9年間ずっと応援しているアイドルが最近卒業することが発表しました。

“失恋みたいに心にぽっかり穴が開いたようです”と言いました。

私なんとかしたいですけど、どうすればいいかわかりません。

from when_it_rains_it_poursさん 

+++++++++++++++++++++++++++++

 

when_it_rains_it_poursさん、はじめまして!
心理カウンセラーのリエコです。

 

書籍「ふと感じる寂しさ、孤独感を癒す本」にある
「誰かを応援することで孤独感から自分を救い出す」
という部分が、お友達と重なったんですね。

 

お友達の「心にぽっかり穴が開いたようです」という言葉を聞いて、

「もしもお友達が『応援する』ことで孤独感から救われていたなら、応援するアイドルが卒業したあと、お友達は『孤独感』から自分を救い出せなくなってしまうのではないか」と心配になり、

私はどうしたら「心にぽっかり空いた穴」を癒してあげられるんだろう、
私はどうしたら、元気を与えてあげられるんだろう、

そんな気持ちから、今回ご相談くださったのではないかなと思います。

 

when_it_rains_it_poursさんは、お友達の痛みを”自分のこと”のように感じられる、優しくて思いやり深い方なんですね。

 

“失恋みたいに心にぽっかり穴が開いたようです”と言いました。

結論からいうと、

お友達が感じている「大好きなアイドルと会えなくなってしまう寂しさ」や「応援していた人を失った喪失感」については、

あなたにも、他の誰にも、埋めてあげることはできません。

「感じる心」というのは、感じている”本人だけ”のものであり、
他の誰かがコントロールすることはできないからです。

 

でも、
心の中にできてしまった「穴を埋める」ことはできなくても、
心の痛みに「寄り添う」ことは、できると思うんです。

なので、もしも私だったら、こんなことをしてみるかな・・と思います。

お友達の想いを、ただただ聞いてあげる。
「話すは放す」といいます。お友達の中にあるぐるぐるとした感情を、話すことで吐き出させてあげるイメージです。ただただ、聞いてあげます。

お友達の気持ちを、自分なりに理解する。
同じ経験をしていなくても、同じ感情を感じられなくても、お友達の気持ちを「思いやる」ことはできます。あなたの「理解したい」という想い、それ自体が、お友達に安心感や心強さを与えるのではないかなと思います。

お友達の「寂しさ」や「喪失感」が癒えるよう、祈る。
「祈り」は通じるといいます。心の中で、お友達の「心の痛み」が癒されるよう祈ること、またそんな気持ちでいることも、お友達への寄り添いです。

お友達が1日も早く元気を取り戻すことを信じ、応援する。
お友達には「元気を取り戻す力」があると信じることができたら、「なんとかしてあげたい」の想いは「応援」に変わります。

 

少し時間はかかるかもしれないけど、

あなたの「思いやりの気持ち」は、きっとお友達の痛んだ心を優しく包み込み、癒すに違いありません。

when_it_rains_it_poursさんのあたたかい気持ちが、お友達に伝わりますように。。

 

        *****

 

さて。ここで、ちょっとだけご質問の主旨からはズレるのですが、
ご相談文を読ませていただいて、私が感じたことを1つお伝えさせてください。

それは、あなたの「なんとかしてあげたい」という気持ちについてです。

 

今回あなたがご相談くださったのは、

お友達の言う「心にぽっかり穴が開いたようです」というのは、
こんな気持ちなんじゃないのかな。
それはしんどいよね。。

そんな風に、お友達の心情を思い浮かべ、その「しんどさ」に共感する想いが、あなたの中にあったのではないかと思うんです。だから、

何とかしてあげたい。力になってあげたい。
でもどうすればいいのかわからない。。 

そんな風に思って、ご相談をくださったのかな・・と。

 

もしもそうなら、
具体的な状況はわかりませんが、あなたの中にも、何か「しんどさ」のようなものがあるのではないでしょうか?

だから、お友達に自分を重ねて、「なんとかしてあげたい」と思ったのではないかな。。

 

だとすると、
「なんとかしてあげたい」状況にあるのは、お友達だけなのかな・・ということになりますね。

「お友達を助けたい」の奥にある「私を助けてほしい」の想い、もしくは、それに近い感覚にお心当たりはありませんか?

 

もしもお心当たりがあるなら、今は、お友達よりも先に、自分のことに目を向けて、自分を助けてあげる時かもしれません。

そして、もしかしたらあなたも無意識に「お友達を応援する」という与える行為で、自分を救い出すことをしようとしていたのかもしれません。

 

        *****



心理学では、よく「まずは自分」といいます。

お友達のことももちろん心配だけど、

もしも後半部分にお心当たりがあるなら、まずは自分に意識を向けてみるのはいかがでしょう?

具体的には、「お友達」にしてあげたいと感じたことを、「自分」にしてあげるんです。

自分をたくさん癒して、たくさん喜ばせてあげるんです。

そして、お友達に「与える」ことをするときには、
「まずは、自分が十分に癒され満たされる。そして、溢れた分をお友達に注ぐ」というイメージを持ってみるといいかもしれません。

 

短いご相談文だったので、後半は私見も入りましたが、参考になることがあれば嬉しいです。

ご相談くださり、ありがとうございました!

 

 

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慢性的な問題は、自分ひとりでは癒せない

 

心理カウンセラーのリエコです。

人生を振り返ると、誰にでも1つは「あぁ、まただ…」というような、何度も繰り返されている問題があるものです。

例えば、
恋愛では「また2番目のポジションになってしまった」とか、
職場では「また上司がモラハラだ」とか。。

何度も繰り返されるから、もう自分の中で習慣化され、気づかないケースもあるのかも。

また、気づいていたとしても、「無意識に発動されてしまう」その習慣からどうやって抜け出せばいいのか、自分ではわからなくなっちゃったりして。。

今日は、そんな「慢性的な問題」について、最近よく感じることを書いてみたいと思います。

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ココロノマルシェの回答を書きながら、自分の言葉が「自分」に突き刺さることがあります。
っていうか、毎回のように。。
それは、私が「何かを伝えたい」と思って選ぶご相談が、自分の歩んできた道だったり、乗り越えてきた課題だからかもしれません。

 

過去にアップした「自分の回答」を読み返して、自分が癒されたりすることも、よくあるんです。
回答を書いているときは、ご相談者さんだけを見て書いているけど、それは1周まわって、「過去の自分」を癒すものになっているのかもしれません。

 

「自分の姿は、自分には見えない」といいます。

私はそうやって、クライアントさんの問題と向き合うことで、
自分の中にある「自分ひとりでは気づけない、何か」に気づかせてもらっているのかも。。

 

         *****


話は変わって、この週末のこと。

「お弟子4期」はいよいよ最終講義です。

そして、昨日は最後のデモセッション。

テーマはざっくり言うと「慢性的な問題」。

具体的には「ずっと悩み続けてきた課題について、もう自分ではどうしたらいいのかわからない」というお悩みでした。

きっと、長年ぐるぐると想いを巡らし続けて、問題にすっぽりと包まれてしまった状態だったのだと思います。苦しいですよね。。

人は「どうでもいいこと」について悩み続けることはできません。

だから、その方にとっては人生をかけるくらいの大きな問題だったはずです。

でも、ずっと答えを見つけられなかったのだとしたら、それはもう、自分の中に解決方法がないということ。

自分ひとりでは、どうにもできないということ。

 

        *****

 

実は、私が参加した2期のお弟子講座でも、
最後のデモセッションのテーマは「慢性的な問題」でした。

そして運よく、私の課題をとりあげていただいたんです(←正確には、蓮ちゃん&私の2人がフォーカスパーソン)。

それが問題となっている裏側にはそれだけ「大きな痛み」があり、その痛みの裏には、同じかそれ以上の「才能」がある。
だから、「その才能(=自分の偉大さ)を受け取る、認める」ことでしか、その慢性的な問題を攻略できない。
でも、自分の資質は、自分よりも「周りの方」の方がよく見えるもの。
その価値&魅力を隠すことなく、自分の資質を生かすことで、慢性的な問題は解消される。

そんなセッションでした。

自分の資質は、自分よりも「周りの方」の方がよく見えるもの。

であれば、慢性的な問題を攻略するには、「自分ひとり」で頑張るよりも、周りに助けてもらう方が、スムーズに運びそうです。

 

        *****

 

かつての私は、何かと「自分ひとり」で乗り越えようとするタイプでした。

今はそれが「自分を幸せにしないこと」だと理解しています。

なのに、習慣になってしまっているのか、
無意識に「ひとりで頑張る」の方に向かってしまうことがあるんです。

 

でも。

自分の姿は自分では見えないし、

ぐるぐるの中にすっぽり包まれてしまったら、自分ひとりでは抜け出せないし、

自分の資質は、周りの人に教えてもらわないと気づけない。

慢性的な問題って、自分ひとりでは癒せないんだな。。

そんなことを感じた週末でした。

 

まだまだ乗り越えたい「慢性的な課題」がある私。

周りの方々との関わりの中で、いろんなことに気付かせてもらいながら、1つ1つ課題を昇華して、自分が癒されてきた過程で得た学びを、クライアントさんのサポートに生かしていきたいと思っています。

 

 

カウンセラー リエコ

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【マルシェご感想】自分の強いエネルギーを「幸せにしないもの」と感じていたのかも。でもそれは逆なんだと思えるようになりました。

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心理カウンセラーのリエコです。

先日『ココロノマルシェ』に投稿した回答にご感想をいただきました。ありがとうございます!

ココロノマルシェとは

根本裕幸カウンセラーの「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラーが、寄せられたご相談にお答えする、お悩み掲示板です。 

+++【ご感想】+++++++++++++++++

こんにちは。6/23 ココロノマルシェ「過去の自分と今の自分を繋げていきたい」でご返答いただいた者です。

 

ご丁寧に、またとても親身になってご返答いただき、本当にありがとうございます。
リエコさんが書かれていたことは「本当にそれです!」となり、子供の頃の私に優しく共感していただき、とても嬉しかったです。

 

ご返答で書かれていた、
「『なんか怖い』とか『言葉が鋭すぎる』と言われてしまうのは、uniさんがそれほどに大きな力で自分を抑え込む『強さ』が必要だったことを表しているのではないでしょうか。」という一文にはっとしました。

 

私は元々エネルギーが強いようで、いろいろな面で抑圧をしてきました。ですので女性性と男性性を使い分ける、というのも私らしいテーマかもしれない、と感じています。
過去は昇華するのが良いことだと思っていましたが、それは仰る通り=消し去りたいということかもしれません。

 

どこかで自分の強いエネルギーを「自分や周りを幸せにしないもの」「見たくないもの」と感じていたのかもしれないです。
でもそれは逆なんだと思えるようになりました。

 

少しの相談内容から、新しい視点をいただきありがとうございます。
肯定していただいて、どこか心がほっとしました。

 

それでは、お礼のご連絡までに。
ありがとうございました。

from uniさん

+++++++++++++++++++++++++++++

 

◆uniさんのご相談はこちらでした。

breaktime.hatenadiary.com

 

uniさん

素敵なご感想をありがとうございます!

もともととても豊かな「女性性」をお持ちなのに、ご家族を大切に想う気持ちから、同じかそれ以上の力で抑え込んでこられたuniさん。

その「抑え込む力(男性性)」は時間をかけて磨き上げられ、今では「豊かな女性性」と同じくらいパワフルな才能に育っていたんですね。

どこかで自分の強いエネルギーを「自分や周りを幸せにしないもの」「見たくないもの」と感じていたのかもしれないです。
でもそれは逆なんだと思えるようになりました。

「過去を昇華する=消し去りたい」という想い。

これまで「強さ」のマイナス面に悩まされていたのですから、そう思っちゃいますよね。。

でも、どんなに素晴らしい才能も、uniさんが自覚されないと「ない」のと同じ。

それではせっかくの魅力を生かすことが出来ません。

uniさんの中には、「女性性」の魅力も、「男性性」の魅力も、そしてまだまだ気づいていない素敵な魅力も、たくさんあるのではないかな・・

その1つ1つをよく知り、「私の魅力」として受け取ることが、女性性も男性性もバランスよく生かせる「uniさんらしさ」につながっていくのではないかと思います。

新しいuniさんを楽しみながら、ますます輝いてくださいね★

ご感想を届けてくださり、ありがとうございました!

 

 

心理カウンセラー リエコ
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自分の感情に気がつくのが遅い[ココロノマルシェ]

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心理カウンセラーのリエコです。

今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。

ココロノマルシェとは

根本裕幸カウンセラーの「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラーが、寄せられたご相談にお答えする、お悩み掲示板です。 

+++【ご相談】+++++++++++++++++++

自分の感情に気がつくのが遅い

はじめて書き込みさせていただきます。よろしければヒントいただければと思います。

私はどうも理不尽なことをされたような時に怒りを感じるのが遅く、数日かかってしまうことが多いのです。
そしてようやく怒りを自覚しても、この出来事は本当に怒ってもいいようなことなのかな?と悩んでしまうのです。湧いてくる感情にいいも悪いもなく、ただ怒っているのを認めればいいのだと思うのですが、どうしても、感じていいのか?と不安になってしまいます。こんな風に感じる私がおかしいのではないか、などという悩みに取り憑かれてしまうのです。

それというのも、子供の頃に何か学校のクラスで問題があったような時、詳しく事情を聞くなどせず、とりあえず身内である私に問題があると決めつけて周りと一緒に責め立てる父と、とりあえず何事も自分が我慢して事を丸く収めたいタイプの母から受けた教育によるものではないかと思っています。

もう少し早く、相手の攻撃に気がついて、そしてできれば軽くしっぺ返しなどができるようになればストレスも少なくなりそうに思います。こんな私はどうすればいいでしょうか?

from まいさん

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まいさん、初めまして!

カウンセラーのリエコです。

「理不尽だ!」とあとあと気付いてものすごく腹が立つのに、タイミングを逃して反発できない。。それはモヤモヤが残りますね。

「あの時に戻れたら○○って言ってやるのに!」などとアレコレ考えていると、余計に腹が立って、でもその怒りのぶつけどころがない・・みたいな。

まいさんの「もう少し早く相手の攻撃に気がついて、できればしっぺ返しできたらいいのに」というお気持ち、ごもっともだと思います。

 

私はどうも理不尽なことをされたような時に怒りを感じるのが遅く、数日かかってしまうことが多いのです。
そしてようやく怒りを自覚しても、この出来事は本当に怒ってもいいようなことなのかな?と悩んでしまうのです。

まいさんは、「自分の感情に気づくのが遅い」ことに加え、「自分の感じた感情に自信がない」ことで不安になってしまうんですね。

具体的には、こんな風に感じられているのではないかと思ったのですが、いかがでしょうか?

・私は腹が立つんだけど、他の人だったら怒ることなのかな?

・こんな風に感じるのは、私の心が狭いからかな?

・この感情をどう表現するのが正解なんだろう?

・普通の人は、こういう場合どうするんだろう?

 ・そう感じる自分は、他の人から見てどうなのかな?

 

感情を感じても、それを自分で「ただ認める、受け止める」ことができなくて、
同じ状況の他の誰かが「○○って感じたの」と”自分と同じ感情”を伝えてくれた時に、やっと安心して認められるような感覚。。

もしもお心当たりがあるなら、感情を感じるごとに「不安定さ」や「不安感」も押し寄せるわけですから、とてもしんどい状態にいらっしゃるのだろうなぁと思います。

 

それというのも、子供の頃に何か学校のクラスで問題があったような時、詳しく事情を聞くなどせず、とりあえず身内である私に問題があると決めつけて周りと一緒に責め立てる父と、とりあえず何事も自分が我慢して事を丸く収めたいタイプの母から受けた教育によるものではないかと思っています。 

お父様は、まいさんの「言い分」や「感じたこと」を二の次にして、周りに同調してしまわれたんですね。

私の勝手な推測ですが、お父様はもともと「自分よりも周りを尊重する」傾向があって、また「身内=自分」という感覚も強い方であることから、そういった態度をとられたのかなぁと思うんです。

でもまいさんにしたら、身内である自分の事情を聞くことも、感情を受け止めてくれることもなく、相手方についてしまったわけですから、子供心にどれだけ傷ついたでしょうね。。

また、お母さまは、何かと自分が我慢して「周りに沿おう」とされる方なんですね。

 

ご両親がそういう性質をもたれるようになったのは、ご両親なりの事情があったのでしょう。

でも、まいさんのおっしゃる通り、子供の頃の習慣というのは、マインド形成に大きく影響を及ぼしますから、

そういった環境に生まれ、価値観を育ててきたまいさんにも、ご両親のスタイルが大きく影響していると考えるのが自然です。

それはすなわち、「自分の感情や考え方を二の次にして、周りや一般常識に沿わせていくスタイル」です。

私はどうも理不尽なことをされたような時に怒りを感じるのが遅く、数日かかってしまうことが多いのです。

そうなってしまうのも、まいさんの中に潜在的にある「相手に沿わせていくスタイル」が、無意識に「相手を受け入れて」しまうことから生じる事象なのかもしれません。

それは、言い換えると「自分の感情よりも、相手の言動を優先している状態」。

まいさんが「自分の感じた感情に自信がない」となってしまうのも、こうした背景が生じさせているのではないかな。。

「相手に沿う」ことがクセになっているから、相手が理不尽なことをしても無意識に沿わせてしまって、あとあとになって「自分の感情」に気づいてギャーってなるのです。

 

        *****

 

自分の感情は「自分にしか」感じられません。

同じ事象に対しても、人ごとに、それぞれ違う感じ方があるのです。

そう考えると、自分の感じたことが人と違うことは「当たり前」ですね。

 

それでも「自分の感じた感情に自信がもてない」と不安を感じるのだとしたら、
「周りに合わせる」のマインドがまいさんの中に根強くあることと、
あとひとつ、「自分との繋がりが弱い」のではないかなと思います。

自分との繋がりが弱いから、自分のことがよくわからず、だから「自分の感じた感情」にも自信がもてないのです。

まいさん、今回ご相談をくださったことをきっかけに、自分との仲直りをしてみるのはいかがでしょう?

方法は、お友達と仲良くなるのと同じです。

自分の「良い所」や「悪い所」、「好きなもの」や「嫌いなもの」などなど、自分のことをよく知ることから、自分との絆を深めていくのはいかがですか?

そして、「自分の感じていることを受け止めてくれる自分」を、自分の中に育てていくんです。

これを「自己肯定感を上げる」とも言います。

まいさんがどんなことを「感じて」どんなことを「言葉にして」も、
相手が違う意見を持っていたとしても、
自分が「自分の一番の味方」になって「だよね!」って認めてくれたら、
とても心強いと思うのです。

どうせ「自分の感じたこと」と「人が感じたこと」なんて、違うことが「当たり前」なのですから。

 

新しいマインドを植え付けていく作業ですから、簡単にいかないこともあるかもしれないけど、サポートが必要になった時には、カウンセラーを頼ってみてくださいね。

自分との繋がりが強くなって、今よりももっと素直で正直に感情を感じられるまいさんになっていかれますよう、応援してます!

 

 

心理カウンセラー リエコ

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