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心理カウンセラーリエコのブログ

あの子に嫉妬してしまう[ココロノマルシェ]

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心理カウンセラーのリエコです。

今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。

ココロノマルシェとは

根本裕幸カウンセラーの「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラーが、寄せられたご相談にお答えする、お悩み掲示板です。 

+++【ご相談】++++++++++++++++++

あの子に嫉妬してしまう

ご相談、失礼します。
サトウと申します。
お目に留まりましたら嬉しいです。

大卒上がりたてのフレッシュウーマンなのですが、このたび体調を崩して、2ヶ月の休職となりました。うつ病です。

職場の先輩はとても優しく、「ゆっくり休んでね〜」と言ってくれます。
そのときは「有難いなあ」と受け取っていられたのですが、徐々に鬱陶しく感じられるようになりました。

また、私より同期の子が先に休職したのですが、どうも課長はその子には頻繁に連絡を取り合っているみたいです。私は休職してから1回しか掛かってきませんでした。

私の中で、「あの子の方が学歴あるし、必要だからなんじゃないか」、「でも、一人暮らししてて近くに家族もいないからなんじゃないか」(私は実家暮らしです)、「そもそも診断名がちがうから比較できることじゃない」と悶々としてます。

考えていたら、「私を見てくれない」寂しさが湧き上がってくるのです。

でも、見られたら見られたで鬱陶しい。重い。こっちから連絡するし、やめてほしい。と思うのです。ハチャメチャです。

一体、自分はどうしてほしいのか、分かりません。
恥ずかしながら、同期の子に嫉妬してしまいます。かと言って、課長にそうしてほしいわけでもないので、余計にこんがらがっています。

私の捻くれた思考を紐解いてくださる方、もしよろしければご回答、お願いします。

from サトウさん

+++++++++++++++++++++++++++++

 

サトウさん、はじめまして!
心理カウンセラーのリエコです。

 

休職をされているとのことですが、ご体調はいかがですか?

コロナ禍による閉塞的な生活スタイルが長く続き、ただでさえストレスのかかりやすい今日この頃なので、私の周りでも体調がすぐれない方が多いなぁと感じています。

そこに生活環境の変化が重なると、かかる負担もさらに大きくなりますよね。

そんな中、ご自分の心の矛盾に気づかれて、ご相談くださったんですね。

私の捻くれた思考を紐解いてくださる方、もしよろしければご回答、お願いします。

ご相談文を読ませていただいて、サトウさんは捻くれているどころか、とっても素直で聡明な方なんだなぁと思いました。

心の声をそのままキャッチできる素直さも素敵ですが、
矛盾した心の声をこれだけきちんと言葉にして、わかりやすく説明できるって、才能ですね!

おかげでサトウさんの状況がとてもよく理解できましたので、
ここからは早速、リエコの感じたことをお伝えさせていただきたいと思います。

 

        *****

 

たびたびある「職場の先輩」からの連絡は「鬱陶しく」感じられるのに、

同期の子に比べて1回しかこない「課長」からの連絡には「寂しさ」が湧いてくる。

でも、課長からたびたび連絡が欲しいわけではない。。

 

これらはいずれも、サトウさんと相手方との「心の距離感」の問題なのだと思いました。

 

まず、先輩のお話から。。

職場の先輩はとても優しく、「ゆっくり休んでね〜」と言ってくれます。

そのときは「有難いなあ」と受け取っていられたのですが、徐々に鬱陶しく感じられるようになりました。

サトウさんは「相手との間に、ある一定の距離感が必要」な状態にあるようです。

だから、先輩が連絡をくれる頻度が頻繁だと、その距離感を縮められたように感じて、鬱陶しく感じてしまうんですね。

心理学の言葉では、これを「親密感の怖れ」といいます。

 

そこには、過去の何かしらの「痛み」が関係していることが多いので、
人間関係の基礎となる「家族との関係」を見ていくことが多いのです。

例えば、子供時代に
・母親が過干渉でサトウさんとの距離感が近く、自由を奪われ続けてきた
・父親がすごく怖い人で、離れたいのに離れられなかった

といったようなことがあると、
自分を守るために「相手と一定の距離をとりたい」という衝動が働くようになりますね。

すると、その後の人生で出会う人との関係にも、無意識に「一定の距離」をとるようになっていきます。

これまでにも「距離感が縮まると居心地が悪くなり、離れたくなる」ことって、ありませんでしたか?

もしもカウンセリングの場でしたら、幼少のころのサトウさんのご家族のことや、印象的だった出来事についておうかがいし、
そこに痛みがあれば癒すことをして、距離感の枠を和らげていきます。

 

        *****

 

次に、課長のお話をみていきましょう。

また、私より同期の子が先に休職したのですが、どうも課長はその子には頻繁に連絡を取り合っているみたいです。私は休職してから1回しか掛かってきませんでした。

私の中で、「あの子の方が学歴あるし、必要だからなんじゃないか」、「でも、一人暮らししてて近くに家族もいないからなんじゃないか」(私は実家暮らしです)、「そもそも診断名がちがうから比較できることじゃない」と悶々としてます。

考えていたら、「私を見てくれない」寂しさが湧き上がってくるのです。

でも、見られたら見られたで鬱陶しい。重い。こっちから連絡するし、やめてほしい。と思うのです。ハチャメチャです。

自分と同じように休職している「同期の子」とは頻繁に連絡をとりあっているのに、私には1回だけしか連絡をくれない。。

それは寂しい気持ちになりますよね。

でも、サトウさんがすごいのは、その”寂しい”の気持ちが「私を見てくれない」という感覚からくる寂しさであることに気付けたこと。

さらに「見られたら見られたで鬱陶しいし重い」ということも!笑

その素直さとまっすぐさ、本当に素敵です。

 

そもそも、この状況ってそんなにおかしなストーリーじゃないのかもしれません。

課長が”同期の子だけ”に頻繁に連絡をするのは、

「一人暮らしなのに体調を崩している」ことへの配慮かもしれないし、

「課長からではなく、同期の子から連絡を入れているだけ」かもしれないし、

「上司と先輩が各々担当を決めて、上司が同期の子に、先輩がサトウさんに連絡をしている」だけかもしれないし。

本当のところは、上司に聞いてみないとわかりません。

でも、同じ事象をみて”何を感じるかは”人それぞれで、「怒り」を感じる人もいれば「悲しみ」を感じる人もいる中で、佐藤さんは「私を見てくれない」という寂しさを感じたんですよね。

それは、サトウさんの中にもともと「私を見てくれない」という寂しさが存在していたことを教えてくれています。

サトウさんの中に、過去に経験した痛みが癒えないまま残っているから、同じようなシチュエーションに遭遇すると、感情がうずいてしまうんです。

例えば、サトウさんが幼少の頃に、ご両親が「自分以外の兄弟ばかりを見て、私を見てくれなかった」とか、「仕事ばかりしてて、私を見てくれなかった」とか。

そういったことに、お心当たりはありますか?

幼少の頃の寂しさが今も残っているのだとしたら、小さなサトウさんにとって、それはよっぽど辛い出来事だったはずです。

もしもカウンセリングの場でしたら、サトウさんの痛みの元となる出来事を探り、痛みを癒すことをしていきます。

そうすることで、その後同じシチュエーションに遭遇しても感情にのまれず、フラットに状況を眺められるマインドに整えていくことができます。

 

また、「見られたら見られたで鬱陶しいし重い」と感じるのは、先輩の時と同様「一定の距離をとりたい」という理由からだと思われます。

よって、もしもサトウさんの中に「私を見てくれない」という寂しさが存在していなかったら、「あれ~?」とは思いつつも「ま、いっか。連絡こなくてラッキー」となっていたかもしれませんね。

 

        *****

 

サトウさんのご不明点は解消できましたでしょうか?

ご質問の回答は以上となりますが、さいごにあと1点だけ。

私の中で、「あの子の方が学歴あるし、必要だからなんじゃないか」、「でも、一人暮らししてて近くに家族もいないからなんじゃないか」(私は実家暮らしです)、「そもそも診断名がちがうから比較できることじゃない」と悶々としてます。

これはサトウさんの「課長に対する悶々とした想い」を引用したものですが、
この部分を読んで、これから社会復帰をされるサトウさんに、こんなことをお伝えしたくなりました。

 

私は仕事場で新卒スタッフの研修にも携わっており、毎年多くの新人さんと関わっています。

すると、人の成長というのは、環境に適応できる力も、実力を発揮し始める時期も、その過程は本当に人それぞれであることが、とてもよく見えるんです。

要領よくすぐに周りに適応しサラっとこなしていく人もいれば、
はじめは器用にできなくても丁寧さと実直さで力をつけ不可欠な存在になっていく人もいます。

 

サトウさんが職場に復帰した直後は、いろいろな場面で、休職のブランクを感じる場面があると思います。

そして、この引用にあるように、同期の子と自分とを比較してしまうこともあるかもしれません。

でも、そもそも人それぞれのペースで前に進んでいるものなので、サトウさんはサトウさんのスピードで進んでいけば大丈夫です。

 

また、復帰直後は、久しぶりの環境に馴染んでいくことや、病み上がりの体の「不安定さ」と付き合っていくことなど、
本業務のほかに「負荷のかかること」があると思います。

体調を崩す前には普通にできたことがサクサクとこなせなくなっていたり、
体調を崩す前のペースで無意識に体を動かして、思いのほかヘトヘトになっちゃうこともあったりして。

そういったことで気持ちが小さくなってしまわないよう、「今できることをやればOK」という気持ちで臨んでほしいなぁと思います。

ゆっくりと体を環境に慣らし、サポートが必要な時には誰かを頼りつつ、マイペースで進んでいってくださいね。

 

サトウさんの職場先輩も、このようなことをお伝えしたくて、たびたび連絡をくださっているのかもしれません。

支えてくれる方が職場で待っていてくださるのでしたら、安心ですね。

サトウさんのこれからを応援しております!

 

 

心理カウンセラー リエコ

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逃げ出したいけどその気力もない[ココロノマルシェ]

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心理カウンセラーのリエコです。

今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。

ココロノマルシェとは

根本裕幸カウンセラーの「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラーが、寄せられたご相談にお答えする、お悩み掲示板です。 

+++【ご相談】++++++++++++++++++

好きや幸せを感じません

過去も今も何があったわけでもないのにボロボロで気力がなく何もしたくありません。

昔よく自分の状態を伸びきったゴムのようだと感じてましたが今は摩耗しきって切れてしまい、修復するにも素材自体の劣化が激しく使用不可能で処分待ちという感じです。

 

小さな挫折は人並みにはありました。

受験や就活の失敗、チャンスを何度となく活かせなかったとか。

両親とも健在で経済的には裕福ではありませんでしたが人並み(中流の下の方)
虐待や過干渉はありませんが、母と私で親子逆転はあったと思います。

うちの家族は父と私が親で、母と兄が子供という感じです。

 

こんな摩耗状態で気がつくとオールドミスで仕事も這うようにやっており離職が多くここ数年は貯金も貯まらずここ状態で違い将来、親の介護をしなければと思うと逃げたくて仕方がありません。

from コニインさん

+++++++++++++++++++++++++++++

 

コニインさん、はじめまして。
心理カウンセラーのリエコです。

 

疲れきって気力もなく何もしたくない・・そんな辛い状況の中、お気持ちをシェアしてくださってありがとうございます。

「摩耗しきって切れてしまい、修復するにも素材自体の劣化が激しく使用不可能で処分待ち」という言葉から、コニインさんの状況がとてもよく伝わってきます。

 

「過去も今も何かがあったわけではないのに」と書かれていますが、私はご相談文を読んで、コニインさんはきっと与えられた状況の中で一生懸命に頑張ってきた方なんだろうな、と思いました。

パワーが尽きて自分の事もままならないのに、近い将来の親の介護まで「自分の務め」として意識に上がるのは、コニインさんが周りの人を支えてきた方であり、「相手によかれ」ということを先取りしてやってきた方だからこそ、ですよね。

 

だから、コニインさんがこんなにもボロボロで、気力を失うほど消耗しているのは想像に難くないし、

そんな中で、今の自分には背負いきれないであろう重たい現実につぶれされそうになって、ご相談くださったのではないかなと思います。

 

        *****

 

コニインさんがご相談くださったこの問題。

それは、物心ついた頃からずっと習慣になっているものの中に、原点があるのではないかと思いました。

具体的に言うと、家族の中でいちばん小さなコニインさんが、お母さんの”親役”を担い、お兄さんの”親役”を担ってきたことです。

うちの家族は父と私が親で、母と兄が子供という感じです。

その意識が子供の頃から続いているのであれば、
コニインさんは小さな頃から「与えること」「支えること」「自分でしっかり立つこと」を、ごく自然に、当たり前のように受け入れ、こなしてきたのかもしれません。

小さな子供には、負担の大きなことだったのではないでしょうか。

もしかしたら、自分の事を後回しにして、お母さんやお兄さんにパワーを注ぐようなこともあったのかもしれませんね。

でも、どうしてそこまでのことができたのでしょう?

小さな子供であれば、お兄ちゃんと同じように「子供らしくある」ことを選択し、親役など担わないことだってできたはずです。

でもそうしなかったのは、コニインさんがご家族のことが大好きで、小さいながらも救いたい気持ちがあったからではないでしょうか?

そして、家族みんなが幸せであるために、家族の中のバランスをとるべく、「与える」という役割を自然に受け入れてこられたのではないでしょうか。

 

そんな思いやりのあるコニインさんですから、お父さんにも思いきり頼れなかったのではないかということも、想像に難くありません。

だって、コニインさんまで頼ってしまったら、お父さんの負担がさらに大きくなってしまいますもんね。

既に「与える」ことを経験しているコニインさんですから、自分も一緒になって、お父さんに甘えることは、できなかったのではないでしょうか。

もしもそうなら、小さなコニインさんを取り巻く環境は、子供らしく親に甘えることも、安心して頼ることも、封印しなければならなかったのかもしれません。

 

そのようにして家庭の中で培われたスタイル(役割)は、社会的なつながりのあらゆる場面で「コニインさんのスタイル」として繰り返されていきます。

例えば、
学校では、気づけば面倒な役割をかって出ていたり、
職場では、気づけば同僚のサポートやフォローをする役回りをしていたり。

 

特に「お母さん」や「お兄ちゃん」のようなタイプの方が身近にいると、与えたり、助けてあげたり、支えてあげたり、といった役割にまわってしまうこと、ありませんでしたか?

同様に、周りの人に「甘える」「頼る」といったことは、あまりなかったのではないでしょうか。

それも、コニインさんが子供時代から培い、馴染んできたスタイルだからです。

 

周りの人を「支え」、
ときには自分を二の次にして「与え」、
「自分でしっかり立つこと」をしながらも、
誰かに「甘えること」「頼ること」は封印する。。

それがずっと続いてきたのであれば、
伸びきったゴムのように消耗してしまうことも、
ボロボロで気力がなくなってしまうことも、
何もしたくなくなってしまうことも、
よく理解できます。

 

でも、いま直面しているこの現実を「問題」と捉え、ココロノマルシェにご相談くださったのは、コニインさんにとって今が大きな節目だからだと思うのです。

そして、「ボロボロで気力がなくて何もしたくない‥」の心の奥底には、
「この現状をどうにかしたい」の気持ちがあるのではないでしょうか?

 

この節目がコニインさんの安らぎにつながりますよう、
ご相談文を読んで私が感じたことを書いていきたいと思います。

 

        *****

 

まずは、休息しましょう。

ボロボロで気力がなく何もしたくありません。

こんな摩耗状態で気がつくとオールドミスで仕事も這うようにやっており離職が多くここ数年は貯金も貯まらずここ状態で違い将来、親の介護をしなければと思うと逃げたくて仕方がありません。

コニインさんは今、力を出し尽くしちゃったような状態だと思うんです。

もうボロボロで、ゆっくりと心身を休めたいのに、
「今の不安事」や「将来の心配事」に駆られてしまい、
頑張らないといけないって思うのに、もう頑張れない。
そんなしんどい現実から逃げ出してしまいたいのに、その気力すらわかない。。

そんな感覚をお持ちなのではないでしょうか?

 

不安に駆られた時って、思考はどんどんネガティブな方向に向かいます。

心と体はとても密接につながっているから、体が元気じゃないと、心も元気にならないんですよね。。

なので、今のコニインさんの状態でいくらもがいても、よい方向には運びそうもありません。

であれば、いちど「徹底的に自分を休ませてあげる」ことをしてみませんか?

そのために重要なのは、「思考の声を、自分から切り離すこと」だと思っています。

 

実は、私にもコニインさんと似た経験があります。

参考になるかわかりませんが、ちょっと書いてみますね。

頑張りすぎて疲れてしまい、気力が消え去って、何にもしたくなくなっちゃったんです。
なのに私には「頑張らないと、これまで積んできたことがなくなっちゃう」という思い込みがあり、そんな不安の沼にすっぽりと覆われていました。

ぺちゃんこな自分の心を引き上げようにも、不安に包まれた私の心には、やりたい事も欲しいものも何ひとつ浮かばず。。まるで心が死んでしまったようでした。

「どうにか自分を助けなければ」

そんな想いから、あれこれやってみた末に辿り着いたのは、「思考の声から逃げること」。

心の中の不安をかきたてるのは、だいたいにおいて「思考」です。

未来の心配事も、過去の後悔も、いま目の前に起きていることではないのに、頭(思考)が勝手に思いめぐらせて自分に囁いてくるから、心が掻き立てられてしまうんです。

その声に抗うパワーがないなら、逃げるしかありません。

とにかく「思考」しないための方法を探り、効果が感じられたのは、これでした。

①五感に集中する
「感覚」と「思考」って同時には働けないんです。
五感に集中する、という瞑想もあるくらいなんですよ!
味わう事、香りを嗅ぐ事、美しいものを見る事、好きな音楽を聴く事、など。

②体を動かす。
体感に集中して体を動かします。①と同様の効果があります。
散歩、ストレッチ、など。

③韓流ドラマを観る
実は、私にいちばん効いたのは「韓流ドラマ」でした。稚拙でお恥ずかしい!
韓流ドラマは視聴者をドラマの世界に引き込むのがとても上手で、感情もたくさん揺さぶってくれるので、キュンとウキウキの世界に簡単にトリップできます。
どっぷりと浸かっている間は思考がストップしているし、ゴロンとしながら楽しめる気軽さも最高なんです。

 

あ、もしかしてこれを読んで「心理カウンセラーなのに、逃げるって!」って思いましたか?

自分を守るために「逃げるという選択肢を持つ」ことは、悪いことでもずるいことでもないんですよ。

選択肢がない状態って、自分を追い詰めます。

でも、「逃げる」という選択肢をもつだけで視野が広がることもあるし、
その場から一旦「逃げる」ことで英気を養えたら、再びトライすることだってできるのです。

師匠の根本さんも、著書「逃げる技術」で、「逃げる技術は、ある人にとっては”人間らしさを取り戻す技術”である」と書いています。

今のコニインさんにとても響く本ではないかなと思います。

よかったら読んでみてください。

 

コニインさんは、これまで周りの人に与えてきた思いやりを、自分に注ぐ時なのだと思います。

もしも不安だったら、休養の期間を決めてみるのはいかがでしょう?

「ひとまず1か月間は、徹底的に休む!自分に甘々にする!」って。

コニインさんが少しでも心地よく在るように、できる範囲でやり方を工夫して、全力で労わってあげてほしいなと思います。

十分に休息がとれたら、「うん、もう大丈夫!」って思える時がちゃんときます。

そのときに再び課題に向き合ってみると、ボロボロな状態の今より視点が上がっているので、まったく違う景色が見えますよ!

 

        *****

 

さて。ここからは、「十分に休息して元気が戻ってきたあと」で取り組んでみてほしいことを3つ書いていきたいと思います。

もしもいいなと思うことがあれば、ぜひ取り組んでみてください。

 

 

自分に寄り添うこと。

1つ目は、「自分の中に、自分の味方を育てること」です。

過去も今も何があったわけでもないのにボロボロで気力がなく何もしたくありません。

コニインさんがそんな風につぶやいた時、
「そうなんだね、とてもしんどくなっちゃってるんだね。」
「何もしたくないなら、ひと休みしたらどうかな?」
「だって気力がわかないんだもん、しょうがないよね。」
そんなふうに声を掛け、そばに寄り添って優しく支えてくれる人がいたら、とても心強いと思いませんか?

そんな存在が「コニインさんの中」にいたらいいな、と思ったんです。

良い時も、そうでない時も、いつも自分が自分に寄り添って、慰めてくれたり、応援してくれたり、背中を押してくれたり。。
そんな「自分のいちばんの味方」であり「自分の理解者」を、自分の中に育てるイメージです。

 

そのためには、まずは「自分に寄り添えない自分」「自分を責めている自分」の存在に気づくことからかな、と思います。

もしも自分を責めている自分に気付いたら、
「あー、私はこんな言葉を自分に掛けてきたんだな」
「私ってこんなに自分に厳しいんだな」

と思うだけOKです。

そして気づいた時には、
「もしも大切な友達だったら、どんな言葉をかけてあげたいかな」
と思い浮かべながら、再び自分に声を掛けてあげてください。

少しづつ自分との距離を縮めていけたらいいですね!

 

 

お母さんとの関係を整理すること。

虐待や過干渉はありませんが、母と私で親子逆転はあったと思います。
うちの家族は父と私が親で、母と兄が子供という感じです。

コニインさんは子供の頃からずっと「私はお母さんを支える役割を担っている」という意識を持ってきたのかもしれません。

ご相談文に記載がないのでわかりませんが、きっと、そうならざるを得ない状況があったんですね。

 

役割って人を縛ることがあります。

「支える人」がいるから、「支えられる人」ができるんですよね。

そしてそれが、癒着という関係を生む要因にもなっていきます。

また、意外と盲点なのが、自分の意識の中では「お母さんのために、その役割を請け負った」と思っていても、
実は「私がお母さんのそばにいるために、その役割を担っていた」というもの。

コニインさんとお母さんの関係については、詳細が書かれていませんが、これらについてお心当たりはありますか?

どちらにしても、お母さんが大好きゆえに起こるケースだと思います。

 

親子逆転だった子供時代とは違い、現在は、お母さんもコニインさんも大人同士です。

コニインさんの中にあるその「固定されている役割」を、意識の中だけでも外してみるのはいかがでしょう?

  私は私、お母さんはお母さん。
  お母さんは、私がいなくても大丈夫。
  私は、お母さんがいなくても大丈夫。
  お母さんは、自分の力で自分を支えることができる。

声に出して読んだ時、どんな気持ちになりますか?

お母さんとの関係が整うことで、コニインさんが無意識に抱えてきた何かが軽くなるのではないかなと想像しています。

 

 

自分ひとりで頑張らないこと。

コニインさんは何かと「人を頼らず、自分でやる」ことをしてきた方なのではないでしょうか?

「手伝うよ」と言われても「大丈夫!」と言って自分でこなしたり、
自分では抱えきれない大きな仕事も、誰かに助けてもらう発想もないまま、ひとりでこなそうと頑張ってみたり。
これまでそういうことって、ありませんでしたか?

もしも今回の困り事が「コニインさんにとって必要だからおきたこと」だとしたら、「人に頼ることができるようになること」ってとても大きなテーマじゃないかなと思ったんです。

そうはいっても、頭ではわかっているのに行動するのが難しいのが、このテーマでもあります。

これまで「人に頼る」「甘える」をしてこなかった人が、いざ頼ろう、甘えようと思っても、どうしたらいいのかもじもじしてしまうし、
だったら自分で・・ってなってしまうんですよね。。

でも、もしもそんな自分の性質にご自覚があれば、ぜひトライしてみていただきたいと思います。

 

もしもそんなシチュエーションが訪れて、人に頼ることができなくても、
「あ、また人に頼ることができなかったな」
「つい何でも自分でやろうとしちゃうんだよね‥」
と自覚できるようになるだけでも、大きな進歩です。

そして、意識的に「頼る」ことにトライし続けてみてください。

そうすることで、抱え込まない事を自分に慣れさせてあげてほしいなと思います。

 

仕事場では、できることとできないことを振り分け、できないことは誰かに頼ればいいし、

親の介護問題も、ひとりで抱え込まずに、兄弟2人で支え合えばいいと思います。

コニインさんの中で、お兄さんは「子供ポジション」なのかもしれないけど、もう大人の年齢ですよね。
もしかしたら頼りなく感じてしまうのかもしれないけど、ずっと抱えてきた「兄の親役」という役割を手放して、大人同士の関係にシフトしてみるのはどうかなと思います。

お兄さんも、いつもはしっかり者の妹が頼ってきたら、嬉しいかもしれませんよ!

 

ざっくりと書いてきましたが、ひとりで難しいことがあれば、カウンセラーのサポートを頼ってくださいね!

 

        *****

 

ご自分のことを「伸びきったゴム」のように感じていた昔から、現在に至るまで、
コニインさんが病気にもならずに過ごしてこれたのは、もともとのパワーがとてつもなく大きい方だからかもしれません。

その器にパワーが戻った時、きっととてもたくさんの魅力や才能が花を開くのではないかなぁと想像しています。

まずはゆっくりと体と心を休めて、十分にパワーを蓄えてくださいね!

そして、新しいスタイルにシフトチェンジしたコニインさんが、本来の自分らしさを発揮できますよう、応援しています。

 

 

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好きや幸せを感じません。慢性的な問題との向き合い方。[ココロノマルシェ]

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心理カウンセラーのリエコです。

今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。

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根本裕幸カウンセラーの「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラーが、寄せられたご相談にお答えする、お悩み掲示板です。 

+++【ご相談】++++++++++++++++++

好きや幸せを感じません

元々食べることが好きな私の妹は、美味しいものを食べたとき、又は可愛いと思った服などを買ったとき、「あーー、幸せ(ハート)」と言います。

私は、美味しいものを食べても可愛いと思ったものを買っても、幸せとは思わないんです。

どこかにある重いものを心に感じます。

 

また、優しい人と言われたとしても、嬉しくありません。

私は人に嫌われるのが怖くて優しいだけだからと思ってしまいます。

幸せ、好き、嬉しいを感じることができたら楽なのにと思います。

from ヨウコさん

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ヨウコさん、はじめまして。
心理カウンセラーのリエコです。

 

美味しいものを食べても、可愛いと思ったものを買っても、純粋に「幸せ!」と感じられず、重いものを感じてしまう。。

その感覚は、同じ状況で「あー、幸せ!」と言って喜んでいる妹さんを見ると、余計に大きく感じられてしまうのかもしれません。

せっかくハッピーを感じられても、そのたびに重い気持ちがついてくならとても残念だし、「私も"あー幸せ!"って感じたい!」と思っちゃいますよね。

せっかく同じ経験をするなら、ただ純粋に「幸せ!好き!嬉しい!」って思いきり感じたいですものね。

 

        *****

 

ヨウコさんのご相談文を読んで、まず私が感じたのは「窮屈さ」でした。

美味しいものを食べても、可愛いと思ったものを買っても、純粋に「幸せ」と思えず、どこか重いものを感じてしまったり、

優しいと褒められても言葉通りに受け取れず、喜べなかったり、

人に嫌われるのが怖くて、自分を出せなかったり、

幸せ、好き、嬉しい、といったポジティブ感情を思いきり感じることができなかったり。

それって、地味にしんどいことですよね。。

ヨウコさんは、何か押さえつけられているようなこの「窮屈さ」をつらく感じて、ご相談くださったのではないかと思ったのですが、いかがでしょうか?

 

        *****

 

この窮屈さは、どこから来るのでしょう?

私はこの部分にヒントがあるのかな、と思いました。

また、優しい人と言われたとしても、嬉しくありません。
私は人に嫌われるのが怖くて優しいだけだからと思ってしまいます。

ヨウコさんの中には「嫌われるのが怖い」という気持ちがあって、
日頃は周りの人に寄り添ってあげることが多いのかもしれません。

でも、どうして「嫌われる」ことに怖れを感じるのでしょう?

それは、ヨウコさんご自身が、ご自分の中に「周りの人に嫌われる要素」があると感じているからではないでしょうか?

この感覚にお心当たりはありますか?

 

 

また、この部分からは、ヨウコさんが感情に蓋をしていることがうかがえます。

私は、美味しいものを食べても可愛いと思ったものを買っても、幸せとは思わないんです。
どこかにある重いものを心に感じます。

幸せ、好き、嬉しいを感じることができたら楽なのにと思います。

今のヨウコさんは、「美味しい、可愛い!」「幸せ、好き、嬉しい!」といったポジティブな感情を、純粋に感じることができていない状態にあるようです。

ポジティブな感情を感じるって、本来なら”喜び”でしかないはず。

でも、自分自身を肯定できていないから、”感情”を感じるたびに、それを思考で抑えたり、感じないよう蓋をしてしまったりして、純粋に感じられなくなっちゃうのかもしれません。

 

ヨウコさんは、自分の中の何かが表にでることを怖れ、同時に感情にも蓋をしているようです。

では一体、何を怖れているのでしょう?

 

        *****

 

私は「問題とは、あなたに何かを伝えるために起こるもの」と考えています。

この視点でこの問題を眺めた時、そこに在るメッセージは、
「自分を抑えつけているものから自分を解放して、もっと自分らしく生きなさい」ということではないかと思うんです。

 

嫌われることを怖れ、表に出さないようにしているもの。

それは、ヨウコさんの「個性、能力、才能、魅力」です。

おそらくですが、過去に「ヨウコさんらしさ」を表に出すことで、傷ついたり、痛みを感じる出来事があったのではないでしょうか?

そして、その痛みを感じないために、感情に蓋しなければならなかったほど、ヨウコさんの感性はとても豊かなのだと思います。

本来はとても大きなパワーを持っていて、それを発揮したら大変なことになるって知っているから、それを怖れて出せないし、動けない。。

今のヨウコさんは、そんな状態にあるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

 

        *****

 

ここで鍵となるのが、ヨウコさんの「なりたい自分」のビジョンです。

ヨウコさんが、人から嫌われることを怖れずに、持ち前の魅力を最大限に開き、のびのびと自由に才能を発揮して、思いきり感情を感じたら、どんな生き方になると思いますか?

ぜひこの機会に「こんなふうに生きたい」というビジョンを描いてみてほしいなと思います。

 

といっても、これまで感じることに蓋をしてきたヨウコさんには、「感じること」「ビジョンを描くこと」って、難しいかもしれませんね。

であれば、まずは「自分を知る」ことから始めるのはいかがでしょう?

自分が楽しく心地よく生きる「自分のビジョン」を描くために、まずは、好きな事/嫌いな事、できること/できないこと、得意な事/不得意なこと、から掘り下げていくんです。

好きな事だけじゃなくて、嫌いな事も知っておくと、自分の好みをより一層把握できますし、

また、できること&できないこと、得意&不得意を知ることは、不快や苦痛から自分を守るための手掛かりになります。

自分のことをよく知ることは、「自分に合った生き方」を描く上で不可欠ですし、
自分と仲良しになることは、自己嫌悪を和らげ、自己肯定感を上げていきます。

 

        *****

 

「自分の偉大さを受け取ることでしか、慢性的な問題は癒せない」

これは、根本カウンセラーの言葉です。

「慢性的な問題」とは、何度も繰り返し起きている問題のことで
ヨウコさんで言うところの「自分らしさが表にでることを怖れ、抑えつけること」。

そして「自分の偉大さ」とは、「ヨウコさんの魅力や才能」です。

すなわちこの言葉は、「ヨウコさんがご自分の魅力や才能を発揮することでしか、窮屈さは癒せない」ということを伝えてくれています。

 

怖れがあって表に出すことができなかったのに、「出すことでしか癒せない」って!

酷なことではありますし、
そのビジョンに向かって前に進むことは、とても強い心が必要です。

怖れと戦う‥ということですものね。。

でも、この問題が起きた今、ヨウコさんは次のステージに進むタイミングなのかもしれません。

この機会に、是非ご自分のビジョンを描いてみてはいかがでしょうか?

そして、「自分で自分に課している制限を外すこと」にトライしていきませんか?

抑えつけないと生きられないほどの「強大なパワー」をお持ちのヨウコさんですから、きっと乗り越えられると思います。

でも、”怖れとの戦い“に心が折れそうになった時には、カウンセラーを頼ってくださいね!

 

少し抽象的な話になってしまいましたが、参考になりましたら嬉しいです。

そうそう、慢性的な問題といえば、根本師匠&椙山眞伍カウンセラーが「慢性的な問題を愛で癒す1DAYセミナー」を開催しますよ!  

nemotohiroyuki.jp

ヨウコさんの新しい世界が大きく花開きますよう、応援しております!

 

 

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自分の潔癖さを緩めたい[ココロノマルシェ]

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心理カウンセラーのリエコです。

今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。

ココロノマルシェとは

根本裕幸カウンセラーの「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラーが、寄せられたご相談にお答えする、お悩み掲示板です。 

+++【ご相談】+++++++++++++++++++++++

自分は潔癖なのか、何か原因があるのか

最近気になっているのですが、私は身につける下着や服、特に肌にあたる部分が床についたりすると絶対洗わないと使いたくないと感じたり、落としたりした時にイライラします。

「床は汚いもの」と感じているのかどうか、掃除をしたからといってそれがなくなるかどうかはよくわかりません。

食事等でも、テーブルに落ちたものは食べられないので、それが同じなのかどうか…

でも、他のことで「過度に清潔を保ちたい」「他人が触ったものを触れない」ということもありません。

そして、sexで自分の大切な部分に触れられる時、する前に相手に手を洗ってほしいと思って、言ってしまいます。

今までは、服を落とした時、自分が触られる時、それぞれの場面で感じるだけでしたが、ふと、自分に直接的に触れるものに対して敏感なのか、これらが繋がっているのではないか、と感じはじめました。

こういったことがカウンセリングの対象になるのかわかりませんし、
何か原因のようなものがあるのかわかりませんが、対人関係に関することは緩めたいと感じています。

よろしくお願いいたします。

from tomoさん

+++++++++++++++++++++++++++++

 

tomoさん、はじめまして。
心理カウンセラーのリエコです。

 

「潔癖」という言葉って、とてもパワフルなワードだなと思います。

「清潔感へのこだわり」と言い換えるとそれほどでもないのに、
この単語を用いただけで、なにか”病的なもの”のような印象を感じさせてしまうから不思議です。

 

tomoさんも、ご自分なりの「清潔感へのこだわり」をお持ちとのこと。

でも、対人関係においては、そのこだわりを緩めていきたいなと考えて、ご相談くださったんですね。

tomoさんのお話をうかがって、私が感じたことを書いてみたいと思います。

 

        *****

感じ方のこだわりって、誰もが何かしら持っているものではないかと思います。

特に「清潔感」においては、本当に人それぞれの感じ方がありそうです。

 

そう言われてみると・・私にも「清潔感へのこだわり」があります。

私は、水が溜まってニュルっとなるのが嫌なんです。

なので、お風呂と台所は、使用後にできるだけ水滴が残らないよう拭きとります。

洗面所の水滴はぜんぜん気にならないんですけどね・・なんでだろう?

考えたことがなかったけど、これもきっと、私なりのこだわりなのだと思います。

 

ご相談文を読ませていただくと、
tomoさんが気になっている点は、このようなことでした。

● 身につける下着や服、特に肌にあたる部分が床についたりすると絶対洗わないと使いたくないと感じたり、落としたりした時にイライラする。

● 食事等でも、テーブルに落ちたものは食べられない。

● sexで自分の大切な部分に触れられる時、する前に相手に手を洗ってほしいと思って、言ってしまう。

これらの共通項は、
◆見えない菌の存在がこわい
◆見えない菌が体に入ることがコワイ

といった感じなのかなと思ったのですが、いかがでしょうか?

 

でも、他のことで「過度に清潔を保ちたい」「他人が触ったものを触れない」ということもありません。

どうしてそのような感覚を持つようになったのかは、詳しくお伺いしてみないとわかりませんが、気になるポイントが部分的なものであることから、考えられる理由としては、
◆過去に、菌が入って炎症を起こしたことがある。または、不安になったことがある。
◆小さい頃に「菌が入ると病気になるよ」といった言葉を掛けられ、今も深く印象に残っている。

このようなことかなと思うのですが、お心当たりはありますか?

 

tomoさんが気になるポイントやその経緯については、tomoさんにしかわからないことなので、ご自分のこだわりを知る意味でも、いちど掘り下げてみるといいかもしれません。

 

        *****

 

物事の感じ方や感覚って、その人ごとに違うものです。

なのに、それを「普通の人は気にならないのに、自分は気になってしまう」と受け取ってしまうと、つい「私は異質だ」と感じてしまいがち。

 

でも、「普通」というのは、単なる多様性の平均値です。

感じ方が全く同じ人なんて存在しないし、人それぞれであるならば、
tomoさんは異質でも何でもないと、私は思います。

 

もしかしたら、tomoさんがそうした感覚を持つようになったのは、何かしらの原因があるのかもしれませんし、もしもそれがわかるなら、程度を緩めることができるかもしれません。

でも、「感覚はひとそれぞれ」という考え方に沿うならば、これは乗り越えなければならない問題でもない気がします。

tomoさんのその感覚を、誰かに合わせたり、無理に変えたりしないで、
「この感性はわたしの個性」と認め、大切にしていかれてもいいのではないかと私は思うのですが、tomoさんはどのように感じられますか?

 

床についた服を「洗わないと使いたくない」と感じたり、
テーブルに落ちた食べ物を食べなかったり。

それは、tomoさんが自分の感覚を大切にして、自分を守ってあげている行為です。

そうすることで安心や安全を感じられるんですものね。

自分を安全な場所に置くために、不快から自分を守ったり、配慮してあげているだけです。

 

もしかしたら、今はその性質が顔を出すたびに「あぁまた潔癖が出てる・・」とストレスに感じてしまうのかもしれませんね。

でも、それらは「自分を愛する行為」にほかなりません。

とても優しい、自分への思いやりです。

 

何か原因のようなものがあるのかわかりませんが、対人関係に関することは緩めたいと感じています。

sexで相手に「手を洗って欲しい」って、たしかに言いにくいものがありますね。

言い方によっては、相手の手を汚く感じているように思わせちゃいますもんね。

でも、この感覚はtomoさんの大切な個性なので、なかったことにしないで、そのまま伝えたらいいと私は思います。

tomoさんを大切に想ってくれる人なら、トモさんの感覚も大切にしてくれるのではないかと思うからです。

 

        *****

 

tomoさんのお知りになりたかった「清潔感へのこだわりを緩める方法」ではない回答になってしまいましたが、ご相談文を読んで感じたことを書いてみました。

なにか参考になりましたら幸いです。

ご相談をお寄せくださり、ありがとうございました!

 

 

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自分が本当に好きな事、やりたい事がわかりません[ココロノマルシェ]

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心理カウンセラーのリエコです。

今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。

ココロノマルシェとは

根本裕幸カウンセラーの「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラーが、寄せられたご相談にお答えする、お悩み掲示板です。 

+++【ご相談】++++++++++++++++++

何をしていても楽しくない

私は長年、自己犠牲精神こそ美しいというような教育を受けたせいで、自分の事を後回しにしてきました。

そのせいか自分が本当に好きな事、やりたい事がわかりません。

大好きを極めてライフワークにしたいと思い、思いつくものを手当たり次第やってみましたが、長続きしません。

本当に好きな事を見つけるにはどうしたら良いでしょうか?よろしくお願いいたします。

from けいさん

+++++++++++++++++++++++++++++

 

けいさん、はじめまして。
心理カウンセラーのリエコです。

 

自分の「大好き」を極めてライフワークにしている人って、とても楽しそうだし、輝いていますよね!

けいさんも、そんな生き方を求めて、ワクワクのライフワークを探していらっしゃるのかなと思います。

でも、肝心の「自分が本当に好きな事、やりたい事」がわからなくてご相談くださったんですね。

けいさんが「本当に好きなこと」に出会えますよう、
ご相談文を読ませていただいて私が感じたことを書いていきたいと思います。

 

        *****

 

私は長年、自己犠牲精神こそ美しいというような教育を受けたせいで、自分の事を後回しにしてきました。

長年の教育・・とあるので、ご両親もそうした価値観の方なのかもしれません。

ということは、けいさんの「自分の事を後回しにしやすい性質」は、物心ついたころから、けいさんの中に根付いている習慣ということになりますね。

「自分のことは自分では気づきにくい」といいますから、けいさんがその性質を自覚されたことは、とってもとっても大きな気付きですね!

そして、けいさんも書かれている通り、「本当に好きな事を見つける」が上手く運ばなくなっている根本も、ソコにあるのかもしれません。

 

自己犠牲精神・・という言うと陰鬱な響きですが、
けいさんは、物心ついた頃からずっと、自分のことを後回しにして、周りの人に愛を注いできた方なのだと思います。

そして、相手の身になって考え、相手が求めていることを察して、相手によかれと思うことを与えてきた方なのではないでしょうか。

きっと、けいさんに助けられた人、救われた人、癒された人たちは、たくさんいるはずです。

 

でも、そのためには「常に周りにアンテナを張っている状態」でなければなりません。

それでは、自分の感じていることが二の次になってしまうのも、無理はありません。

時には、相手や周りの状況に沿うために、自分の感情に蓋をすることもあったかもしれませんね。

そうしているうちに、どんどん「自分の感覚」から遠ざかって、どんどん「心の声」のボリュームが小さくなっていく。。

それが、今のけいさんなのではないかと思います。

 

そんなけいさんが、「本当に好きな事」をみつけるためにはどうしたらいいのか?

私からは3つの提案をさせていただきたいと思います。

 

        *****

 

1つ目。

まずは、思考から離れること。

 

大好きを極めてライフワークにしたいと思い、思いつくものを手当たり次第やってみましたが、長続きしません。

けいさんは今、自分の「好きなこと」への感度が弱くなっている状態ですから、おそらく「思考」を使って、思いつくものを手あたり次第にやってこられたのだと思います。

そして「あれかな、これかな」と探して、挑戦して、違っていて、心が折れて、もうどうしたらいいのかわからない。。そんな状態でご相談くださったのではないでしょうか?

 

思考で選ぶ「好きな事」って、こんな要素が入りやすいと思うのです。
・これがライフワークだったら素敵なのに
・これなら、○○にも役立つし、一石二鳥だわ
・これなら、○○ちゃんと一緒に楽しめそう

 

でも、「好きなこと」って”思考”ではなく”感情”が喜ぶことですよね。
・楽しいな
・心地いいな
・ウキウキ、ワクワク

 

そこで、いちど「好きな事を見つける作業」をお休みしてみませんか?

・・そう言うと、けいさんは「え?」と思わるかもしれません。

早く見つけたいのに。一刻も早く前にすすみたいのに。その方法を知りたくて相談したのにー!

そんなお声が聞こえてきそうです。

だってそれは、「好きな事を見つけたい」という望みとは真逆のことですものね。

でも、もしかしたら今のけいさんにとって、何より一番必要なことじゃないかなと思っています。

 

 

けいさんは、とても頑張り屋さんです。

物心ついた頃から常に周囲にアンテナを張り続け、
自分の「心の声」を二の次にして周りの人に愛を注ぎ、
ご自分の「犠牲しやすい性質」を自覚するまでには、きっと何かしらの学びや経験をしてきたのでしょうし、
その後は自分の「大好き」を探すべく、手あたり次第に挑戦してこられました。

とてもパワーを要することばかりですよね。

それをずっと続けてこられたのですから、無意識かもしれないけど、ずっと緊張状態だったはずです。

 

でも、「好きで楽しい世界」って、リラックスの中にあります。

だからいちど、「思考で頑張ってきた世界」から離れてみることをお勧めしたいのです。

 

実は、かつて私も、けいさんと同じように「大好きを極めてライフワークにしたい!」と考え、思いつくものを手あたり次第やっていた時期がありました。

4年ほど前のことです。

いろいろなことに挑戦しましたが、「コレだ!」という”確かな何か”に出会えないまま、中途半端に手を出した”ちょい好き”が増えていく日々。

自分の中にあるであろう「大好き」に気付けない自分を責めちゃったりもして。

その後、仕事の忙しさからくるストレスで体調を崩し、3か月の休職を余儀なくされました。

でも、振り返ってみると、結果的に私が”大好き”をみつけられたきっかけは、この「休職」だったんです。

 

その休職の3か月間は、本当に「無駄で生産性のない時間」でした。

体はフラフラだし、考え事をすると頭痛がするし、
いわゆる「強制終了」な状態で、本当になんにもできなかったんです。

そしてこの「無駄で生産性のない時間」は、「自分の人生をもっと良くしたい」と思考的に進んできた私にとって、とても怖いものでした。

だって、なんにも進まないし、何も生まれないのですから。

その頃私ができたのは、何も考えないでぽーっと庭を眺めること、好きなお菓子を食べること、韓流ドラマをみること、お昼寝、くらい。

でも、抗うことをあきらめ、その状態に降参して、ひたすらぽーっと過ごし、十分な休息がとれた頃、私の中にちょっとした変化が生まれました。

それまでは「大好きなことを見つける!」「大好きをライフワークにする!」と躍起になっていたのが、
「健康で心地よく過ごせればいいや、そこに何か楽しいことがあれば十分だ」って思うようになったんですね。

当時はそれもままならなかったからです。

振り返ってみると、それが私にとって、思考が外れたタイミング。

その境地になれた時にやっと、自分がそれまで「不安からやってきたこと」と「好きでやってきたこと」の仕分けができるようになりました。

そして、「心の世界をもっと学びたい」って気持ちが自然に沸き上がって、やってみたらどんどん大好きになって、それがライフワークに繋がっています。

 

伝わりましたでしょうか?

思考に囚われた状態だと、自分の心の声が聞こえにくいよ、という実例でした。

「思考から離れる」って言われても、なかなかピンときづらいかもしれませんね。

でも、自分の感情や、自分が「本当に好き」って思えることと繋がるためには、不可欠なステップじゃないかと思っています。

やってみてうまくいかなければ、カウンセラーを頼ってくださいね。

 

        *****

 

2つ目。

自分とつながることで、「好き」の世界を広げる。

 

自分の「自己犠牲しやすい性質」に気づくと、

自分に「ごめんね」の気持ちが湧いて、

「もう自分を後回しにしないで、自分のために、自分が喜ぶことをしたい!」
「これからは、自分をいちばん優先する!」

って気持ちになることと思います。

そして、ワクワクのライフワークを生きる自分の姿に期待がふくらんで、

ただの「好き」じゃなない、一生モノにしたい”確かな何か”を探していくんです。

 

でも、「好き」「やりたい」って、探して見つけるものじゃなくて、湧いてくる感情です。

そして、けいさんの”確かな何か”は、1つとは限らないし、もしかしたら「好き」な要素の集合体かもしれません。

 

その境地に近づくために、まずは「自分のことを、とことん知る」ことをしてみてはいかがでしょう?

具体的には、自分の「好きな事」「嫌いな事」、「できること」「できないこと」、「したいこと」「したくないこと」を、それぞれ100個づつ書き出していきます。

この作業は、自分の「感度」を育てることにもつながるので、とてもお勧めです。

100個書き出すとなると、「大好き」も「ちょい好き」も、何でも思いつくままに書き出していくことになりますが、
どんな小さな”好き”でも「キャッチできる感度」を持てると、日々の「幸せ感」が大きくなるし、それがやがて本当に好きなことへの導線となります。

 

「ちょい好き」を組み合わせることで、好きの世界が広がることもあるんですよ。

例えば、「体を動かすことが好き」+「朝の空気が好き」=「早朝のお散歩が好き」とかね!

 

また、「子供の頃に夢中になったこと」の中にもヒントがあります。

子供の頃に「好き!」と感じたものには、思考が入らないものが多いからです。

損得ナシにただ好きなこと、夢中になれること。

子供の頃の記憶を辿ってみてはいかがでしょうか?

 

けいさんがご自分とつながることで、「好き」な世界がどんどん広がりますように。

 

        *****

 

3つ目。

「自分をいちばん大事にする」ことで、「好き」の世界を広げる。

 

けいさんが「大好き」を見つけたいのはどうしてでしょう?

きっと、「自分を後回しにしてきた自分」を卒業して、「自分をいちばん大事にする自分」になると決めたから、ではないでしょうか。

そうであるなら、まずは徹底的に「自分をいちばん大事にする」をやってみるのはいかがでしょう?

具体的には、日常の中で「好き」を楽しみ「嫌い」を排除し、「したいこと」を優先して「したくないこと」から離れるのです。

そうやって、たくさん自分を喜ばせてあげて、ご機嫌にしていきます。

ご機嫌になってふわっと心が緩んだときの自分がみている世界は、
「自分の好きがわからない」「やりたいことが見つからない」って探しまわっていた時とは全然違うはず。

そんな心地のよい境地に自分を置くことで、もしかしたらけいさんの求める「大好き」が見つかるかもしれません。

 

        *****

 

思いつくまま書いてみましたが、参考になることはありましたか?

きっと、いま「大好きな事でライフワークを生きている」人だって、そこに辿り着くまでの道はまっすぐとは限らず、紆余曲折あったり、手あたり次第やっていく中で出会ったりしているのではないかと思います。

 

けいさんが毎日を楽しむ中で、たくさんの「好き」と出会い、いろいろな経験をしていく中で引き出しを増やしつつ、やがてそれらが絡み合って「楽しいライフワーク」につながっていきますよう、応援しています!

 

 

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自分の思い込みに日々苦しんでいます[ココロノマルシェ]

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心理カウンセラーのリエコです。

今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。

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根本裕幸カウンセラーの「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラーが、寄せられたご相談にお答えする、お悩み掲示板です。 

+++【ご相談】+++++++++++++++++

どうしたら楽しく仕事できるようになるでしょうか?

「自分は仕事ができない」という思いに日々苦しんでいます。

私の中に、仕事ができる人=アイディア出し、企画、開発など何かを0から生み出せる人、クリエィティビティに溢れている人という思い込みがあるため、それらができない=わたしは仕事ができないという思いに繋がっています。

 

実際自分の仕事は作業系の仕事が多いので、評価されない、つまらない、こんなの私の年次でやる仕事じゃないのにと思ってしまいます。

他の会社の友達とかと比べて、あの子はもっと大きな仕事をしている、責任ある仕事をしている、活躍している、それに比べて自分は全然だし自分にそんな大きな仕事、責任ある仕事は無理と思うー方、あの人達とわたしは何が違うんだろう?私にもできるんじゃない?とも思ったり。

何度か異動をしていますが、そのたびに自分がやっている仕事はつまらなく感じ隣の芝が青い現象に陥ります。

 

学歴の良さも逆にコンプレックスになっています。

仕事ができる人だと思われたい、成果を出したい、認められたい、評価されたいという思いが強い分自分はその反対だという思い込みが強くなります。

どんな仕事でもやりがいを見つけて楽しく仕事できるようになるにはどうしたらいいのでしょうか?

from ダンボさん

+++++++++++++++++++++++++++++

 

ダンボさん、はじめまして!
心理カウンセラーのリエコです。

 

周りと自分を比較してしまうこと、ありますよね。。

そういう時って、たいてい相手の中に「自分にないもの」をみて、重苦しい気持ちになってしまうものです。

 

でも、ご相談文を読ませていただいて私が感じたのは、ダンボさんが比較している対象が、「他の誰か」ではないんじゃないかな、ということ。

そして、自分で自分に「ダメ出し」したり、自分で自分の「価値」を感じられないことが、1番苦しいのではないかな、ということでした。

そんな感覚に、お心当たりはありませんか?

 

        *****

 

自分を否定するとき、どんな人よりもいちばん辛辣なのは「自分」だといいます。

「自分の痛みに寄り添う自分」が不在のまま、「辛辣な自分」に責め続けられるのだとしたら、それはとてもしんどいことですよね。。

 

ダメ出しをしている自分は、周りを見渡して、「ダメな自分」の証拠集めをしていきます。

●私はクリエイティブな仕事ができない(だから私は仕事ができない)。
●このような仕事は、私の年次でやる仕事じゃないのに(担わされている)。
●私だって他の会社の友達みたいに大きな仕事をしてもいいはずなのに(できていない)。
●学歴が良いのだから、もっと活躍できるはずなのに(できていない)。。

そして自分に言うんです。
「ほらね、だからやっぱり私は”仕事ができない”んだ」って。 

 

我に返って
「あの人達とわたしは何が違うんだろう?」
「わたしにもできるじゃない?」
と思っても、”私は仕事ができない”という思い込みが強いと、
「自分にそんな大きな仕事は無理」
「自分には責任ある仕事は無理」
というマインドに引き戻されてしまいます。

本当にダンボさんは仕事ができないのかどうかは別として、です。

思い込みって、オソロシイですよね。。

 

では、ダンボさんが比較している対象って何なのでしょう?

それもやっぱり「自分自身」なのではないでしょうか。

ダンボさんには「こう在りたい」という理想があって、その「理想の自分」と「今の自分」とを比較して苦しくなっている、ということはありませんか?

 

「理想の自分」とは、”思考が作り出した自分”と言い換えることもできます。

ご相談文を読ませていただいて感じたのは、きっとダンボさんて、とても謙虚で、前向きで、真面目で、努力家な方なのだろうなということでした。

そして、ご相談文がとても分かりやすくまとまっているのは、きっと冷静な目をもち、思考的に自分を俯瞰できる方なのだと思います。

自分の学歴、経験してきたこと、勤続年数、同級生の活躍など、様々なものを俯瞰できてしまうと、「こう在りたい」という理想の自分が見えてしまうのかもしれませんね。

どんな仕事でもやりがいを見つけて楽しく仕事できるようになるにはどうしたらいいのでしょうか?

ダンボさんが求めている「楽しく仕事をする」ことは、「感情の自分」が喜ぶことであり、求めていることですよね?

だから、いちど思考の作り出す「理想の自分」から離れて、「感情の自分」が求めている”楽しい”がどんなことなのかを探っていく必要があるのかもしれません。

 

        *****

 

学歴の良さも逆にコンプレックスになっています。 

学歴のよいお仲間たちが活躍されているのをみていると、眩しく感じてしまいますよね。

そうしているうちに、一層「自分への期待」も高まってしまうのは、ダンボさんも同様に”できることがいっぱいある方”だからだと思うんです。

 

でも、思考が”こう在りたい”と考える「ダンボさんの理想の姿」が高くなればなるほど、自分へのプレッシャーになりますし、
高まるほどに「承認欲求」も高まりますから、成果を出さなきゃ、良い仕事しなきゃ、という意識が働いて、自分で自分に課すハードルも上がっていきます。

だから「私には無理」「私はできない」って感じやすくなってしまうのかもしれませんね。

 

        *****

 

どんな仕事でもやりがいを見つけて楽しく仕事できるようになるにはどうしたらいいのでしょうか?

ダンボさんが楽しく仕事をするためには、究極的には「自分をよく知り、自分が”本当に得たいと感じるもの”を得られる仕事につくこと」「自分がいつも自分の味方で、どんな自分にもマルをあげられるようになること」なのではないかな、と思います。

そのために、まずは自分のことをよく知ること。
「良い所」「悪い所」、「好きなこと」「嫌いなこと」をよく知り、本当の意味で「したいこと」「したくないこと」、「できること」「できないこと」を探っていきます。

その上で、カウンセリングの場であれば、以下のようなことをお尋ねしていくと思います。

◆ダンボさんが仕事の「やりがい」を感じるのは、どんな時だと思いますか?
 例えば、
 ・自分の才能を生かせたと思った時
 ・やりたいことがやれている時
 ・人から感謝された時  ・・等

◆ダンボさんにとって仕事とは、「ライフワーク」ですか?「ライスワーク」ですか?
 *ライフワーク=「仕事=いきがい」という考え方。
 *ライスワーク=「仕事=食べていくためのお金を稼ぐもの」と割り切った考え方。

 

ダンボさんにとって、本当の意味で「合う仕事、やりたい仕事」は何かが理解できると、今いるポジションの中にそれを見つけたり、よりよい場所を求めて行動することができます。

例えば、

ダンボさんがやりがいを感じるのが「人から感謝された時」だった場合には、
今の仕事の中に「人から感謝されること」を探したり増やしたりすることをしていくとか、
それが他部署で叶うと感じたなら、異動するための働きかけをしていくという選択肢ができます。

ダンボさんのやりがいが「自分の才能を生かせたとき」ならば、
自分の「できること」の中から”生かしたい才能”を選択し、それが今の仕事で果たせない時には異動や転職という選択もありますし、
”仕事は生活を支えるもの”と割り切って、仕事以外に「才能を生かして楽しむこと」を見つけることもできます。

 

そして、自分の中に「自分の味方」を育てると、
前に進みたい時には、自分を励まし応援したりしてくれる仲間ができるし、
自分をつい否定してしまった時には「そんなことないよ!」と打ち消してくれる仲間が現れます。

これを、「自己肯定感を上げる」ともいいます。

 

        *****

 

ところで、ダンボさんは本当に「できない」のでしょうか?

「私には無理だ」という思い込みがあると、

・頑張っても頑張っても、自分を認められない。
・人から認められることで、やっと自分を認められる。
・チャンスが訪れても、行動に移せない。又はスルーしてしまう。
・向かいたい方向に進めない。

というような状態に陥りやすくなります。

ダンボさんにはお心当たりはありますか?

それって仕事場に限ったことでしょうか?

カウンセリングの場でしたら、ダンボさんがどうしてそのような思い込みを抱くことになったのかを掘り下げ、その「誤解」を解いていきます。

でも、自分を知っていく中で、「私には無理だ」という思い込みも薄れていくのではないかなと思っています。 

 

自分を掘り下げるのは、「思考」ではなく「感情」を使っていく作業です。

「こうあるべき」を外して、ダンボさんの心とつながってみてくださいね!

うまくいかない時には、ぜひカウンセラーを頼ってみてください。

ご相談をお寄せくださり、ありがとうございました!

 

 

心理カウンセラー リエコ

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友人の心の穴を埋めてあげたい[ココロノマルシェ]

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心理カウンセラーのリエコです。

今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。

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+++【ご相談】+++++++++++++++++

ずっと応援したアイドルが卒業

「ふと感じる 寂しさ、孤独感を癒す本」を読みました。

120ページから“誰かを応援する”という与える行為で孤独感から自分を救い出すについて。

 

お友達が9年間ずっと応援しているアイドルが最近卒業することが発表しました。

“失恋みたいに心にぽっかり穴が開いたようです”と言いました。

私なんとかしたいですけど、どうすればいいかわかりません。

from when_it_rains_it_poursさん 

+++++++++++++++++++++++++++++

 

when_it_rains_it_poursさん、はじめまして!
心理カウンセラーのリエコです。

 

書籍「ふと感じる寂しさ、孤独感を癒す本」にある
「誰かを応援することで孤独感から自分を救い出す」
という部分が、お友達と重なったんですね。

 

お友達の「心にぽっかり穴が開いたようです」という言葉を聞いて、

「もしもお友達が『応援する』ことで孤独感から救われていたなら、応援するアイドルが卒業したあと、お友達は『孤独感』から自分を救い出せなくなってしまうのではないか」と心配になり、

私はどうしたら「心にぽっかり空いた穴」を癒してあげられるんだろう、
私はどうしたら、元気を与えてあげられるんだろう、

そんな気持ちから、今回ご相談くださったのではないかなと思います。

 

when_it_rains_it_poursさんは、お友達の痛みを”自分のこと”のように感じられる、優しくて思いやり深い方なんですね。

 

“失恋みたいに心にぽっかり穴が開いたようです”と言いました。

結論からいうと、

お友達が感じている「大好きなアイドルと会えなくなってしまう寂しさ」や「応援していた人を失った喪失感」については、

あなたにも、他の誰にも、埋めてあげることはできません。

「感じる心」というのは、感じている”本人だけ”のものであり、
他の誰かがコントロールすることはできないからです。

 

でも、
心の中にできてしまった「穴を埋める」ことはできなくても、
心の痛みに「寄り添う」ことは、できると思うんです。

なので、もしも私だったら、こんなことをしてみるかな・・と思います。

お友達の想いを、ただただ聞いてあげる。
「話すは放す」といいます。お友達の中にあるぐるぐるとした感情を、話すことで吐き出させてあげるイメージです。ただただ、聞いてあげます。

お友達の気持ちを、自分なりに理解する。
同じ経験をしていなくても、同じ感情を感じられなくても、お友達の気持ちを「思いやる」ことはできます。あなたの「理解したい」という想い、それ自体が、お友達に安心感や心強さを与えるのではないかなと思います。

お友達の「寂しさ」や「喪失感」が癒えるよう、祈る。
「祈り」は通じるといいます。心の中で、お友達の「心の痛み」が癒されるよう祈ること、またそんな気持ちでいることも、お友達への寄り添いです。

お友達が1日も早く元気を取り戻すことを信じ、応援する。
お友達には「元気を取り戻す力」があると信じることができたら、「なんとかしてあげたい」の想いは「応援」に変わります。

 

少し時間はかかるかもしれないけど、

あなたの「思いやりの気持ち」は、きっとお友達の痛んだ心を優しく包み込み、癒すに違いありません。

when_it_rains_it_poursさんのあたたかい気持ちが、お友達に伝わりますように。。

 

        *****

 

さて。ここで、ちょっとだけご質問の主旨からはズレるのですが、
ご相談文を読ませていただいて、私が感じたことを1つお伝えさせてください。

それは、あなたの「なんとかしてあげたい」という気持ちについてです。

 

今回あなたがご相談くださったのは、

お友達の言う「心にぽっかり穴が開いたようです」というのは、
こんな気持ちなんじゃないのかな。
それはしんどいよね。。

そんな風に、お友達の心情を思い浮かべ、その「しんどさ」に共感する想いが、あなたの中にあったのではないかと思うんです。だから、

何とかしてあげたい。力になってあげたい。
でもどうすればいいのかわからない。。 

そんな風に思って、ご相談をくださったのかな・・と。

 

もしもそうなら、
具体的な状況はわかりませんが、あなたの中にも、何か「しんどさ」のようなものがあるのではないでしょうか?

だから、お友達に自分を重ねて、「なんとかしてあげたい」と思ったのではないかな。。

 

だとすると、
「なんとかしてあげたい」状況にあるのは、お友達だけなのかな・・ということになりますね。

「お友達を助けたい」の奥にある「私を助けてほしい」の想い、もしくは、それに近い感覚にお心当たりはありませんか?

 

もしもお心当たりがあるなら、今は、お友達よりも先に、自分のことに目を向けて、自分を助けてあげる時かもしれません。

そして、もしかしたらあなたも無意識に「お友達を応援する」という与える行為で、自分を救い出すことをしようとしていたのかもしれません。

 

        *****



心理学では、よく「まずは自分」といいます。

お友達のことももちろん心配だけど、

もしも後半部分にお心当たりがあるなら、まずは自分に意識を向けてみるのはいかがでしょう?

具体的には、「お友達」にしてあげたいと感じたことを、「自分」にしてあげるんです。

自分をたくさん癒して、たくさん喜ばせてあげるんです。

そして、お友達に「与える」ことをするときには、
「まずは、自分が十分に癒され満たされる。そして、溢れた分をお友達に注ぐ」というイメージを持ってみるといいかもしれません。

 

短いご相談文だったので、後半は私見も入りましたが、参考になることがあれば嬉しいです。

ご相談くださり、ありがとうございました!

 

 

心理カウンセラー リエコ

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