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心理カウンセラーリエコのブログ

自分を俯瞰してバランスを取れる私になりたい[ココロノマルシェ]

 

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カウンセラーのリエコです。

今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。

ココロノマルシェとは

根本裕幸カウンセラーの「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラーが、寄せられたご相談にお答えする、お悩み掲示板です。 

+++【ご相談】+++++++++++++++++

バランスを取るために私はどうすればいいでしょうか。

こんにちは。25歳 女です。

最近モヤモヤしている考え事について ご助言いただけると幸いです。

私は元々自己肯定感が海の底レベルであるため、自己肯定感を上げたり 自分磨きのために、日々 様々な方のインスタやブログを読ませていただいています。

その中で最近 特に今の自分に必要だなと思ったことがあります。

それは、「バランスを取る」ということです。

物事がうまくいかない時は エネルギーがどちらかに偏りすぎているというものです。

例えば、

・恋愛だと、追いかけすぎて逃げられる(=「追いかける」ことにエネルギーが偏りすぎている )
・思考が優位になって感情に蓋をしてしまう(=「思考」にエネルギーが偏りすぎている)
・頑張りすぎor頑張らなさすぎ

というようなことが挙げられると思います。

知識を得て、生きていく上では何事もバランスが重要であることが分かりました。

そこで次に 自分がどのくらいバランスを保てているか/ 自分が今現在 どこの立ち位置にいるか というのを知る必要があると思いました。

そして それを知るためには 自分の考えや行動などを俯瞰的・客観的に見ることが必要になってくると考えました。

ここで 「自分の考えや行動を俯瞰的かつ客観的に見るには 具体的にどうすればいいのだろう?」という壁にぶつかりました。

例えば、ダイエットであれば数値が色々と絡んできて その分具体的になるので 自分の現在地やバランスの認識をしやすい部分があると思います。

しかし、考えや行動は数字にならないので とても難しいなと思います。
色々調べたり考えたりしましたが しっくりくるものがありません…。

繰り返しになりますが、自分の考えや行動を俯瞰的かつ客観的に見るには 具体的にどうしたらいいのでしょうか。

こんな 底無し沼思考にハマってしまった私を よろしければ助けていただけないでしょうか。

抽象的な相談になってしまい すみません。


from ゆんちょさん

+++++++++++++++++++++++++++++

 

 ゆんちょさん、はじめまして!
カウンセラーのリエコです。


「物事がうまくいかないときは、エネルギーが偏っている。」
ゆんちょさんがその考えに至るまでに、きっといろいろな出来事があって、たくさんご自分と向き合ってこられたんだろうなぁと思います。

そして、さらに自分を高めるために、
「自分の考えや行動を俯瞰的かつ客観的に見ることが必要だ」という考えにたどり着かれたんですね。

 
自分の考えや行動を俯瞰的かつ客観的に見て、自分の立ち位置を把握し、偏っていることに気づいたらバランスをとる・・

それができたら、思考や感情に振り回される機会も減り、不要な頑張りでエネルギーを奪われることもなくなりますものね!

そのために、「自分の立ち位置を把握したい」と考えるのは、とても自然な発想だと思います。

自分の考えや行動を俯瞰的かつ客観的に見るには 具体的にどうしたらいいのでしょうか。

「具体的な方法」という意味では、「瞑想」をお勧めしたいです。

静かに目を閉じて、自分の心の中にある感情・思考・感覚・問題・・といったあらゆるものを眺めるとき、「眺めている自分」はその渦中にはいません。

その概念が「俯瞰」であり、瞑想を習慣づけることで、俯瞰の境地を得やすくなります。

私はこのことを、お弟子仲間の吉田れんカウンセラーのヨガクラスで学びました。

ゆんちょさんの関心事にも近いのではないかと思うので、よかったらチェックしてみてください。

 


でも、もしも自分を俯瞰できたとして、
自分の状態がどんな立ち位置にあるのか、バランスを崩していないか、を認識するためには、
「基準値」が必要になりますね。

そこで1つ気になることがあります。

その「基準値を軸にしてバランスをとる作業」が、「自分の言動を、基準値に近づける作業」になってしまわないか、という点です。

そうなった場合、ゆんちょさんは「自分」と「基準値」を比較して、
自分の「足りていないところ」や「余分なところ」を探し、
その部分を「基準値」に近づけようとすることになりますね。

それはすなわち「そのままの自分」を否定すること。

マインドは自己否定に向かいます。

 自分を俯瞰することは、問題が生じた時に「自分軸」を取り戻すのに必要な視点といえますが、
バランスをとるために「基準値」軸にとらわれて、「自分軸」が揺らいでしまうなら、本末転倒ですよね。
なので、その点については注意が必要です。

  

私は元々自己肯定感が海の底レベルであるため、自己肯定感を上げたり 自分磨きのために、日々 様々な方のインスタやブログを読ませていただいています。

今回のご相談文でゆんちょさんがお知りになりたかったのは、
「自分の考えや行動を俯瞰的かつ客観的に見るには 具体的にどうしたらいいのか」ということでしたが、
でも、本当に得たいのは、「自己肯定感を上げて、もっと生きやすい私になること」なのではないでしょうか?

 

そもそも、ゆんちょさんが「バランスを取ることが必要」と思われたのはどうしてなのかな・・と思うんです。

ご相談文を読むと、ゆんちょさんの真面目さや一生懸命さ、豊な感受性が伝わってきます。

思考優位になってしまうのは、感性があまりに豊かだから、それを抑えるためではないでしょうか?

直接お話を伺っていないので、これは私の想像ですが、

もしかしたら、一生懸命で頑張り屋さんなゆんちょさんは、感性が高いゆえに、こまでに傷ついたことがたくさんあったのではないかと思うんです。

そして、もう傷つかないために、失敗しないために、この考えにたどり着かれたのではないでしょうか。

カウンセリングの場でしたら、その辺りを掘り下げてうかがってみたいです。

 

そして、もしもその通りでしたら、

「傷ついても大丈夫」って思えると、傷つくことがこわくなくなります。

そういう意味でも、ずっと学んでこられている「自己肯定感を上げること」は、ゆんちょさんを助けてくれるはずです。

自己肯定感とは、ざっくりと一言で言うと「自分が自分の味方で在る状態」だと思っています。

それは、良いことがあっても悪いことがあっても、どんな物事に遭遇しても、いつも自分が自分のそばにいて、慰めてくれたり、応援してくれたり、一緒に喜んでくれたりすることであり、
そんな自分を「自分の中」に育てることです。

もしも傷つくことがあっても、一番の理解者が「自分の中」にいて寄り添ってくれたら、心強いと思いませんか??

「自分のことを俯瞰する自分」のマインドが、「間違え探しの監視人」ではなく「自分の1番の味方」であったなら、最強ですよね! 

 

でも、どんなに俯瞰の目を養ったとしても、

問題や課題にぶつかったときには、バランスを失うものです。

そして、問題が大きければ大きいほど「俯瞰の目」から離れ、取り戻すのが困難になってしまうもの。

だってそれは、その問題があなたにとって「大切なこと」だから。

実は最近、私も俯瞰の目を持てなくなってしまったことがありました。

その時には、自分の代わりに俯瞰の目でみてくれる人(カウンセラー)に頼り、その方の視点で「私」と「問題」を眺めてもらい、その風景を教えてもらいました。

「自分のことは、自分が一番見えない」といいます。

なので、俯瞰の目を取り戻せない時には、誰か信用できる人、もしくはカウンセラーを頼ってみてはどうかな、と思います。

 

いろいろ書いてみましたが、なにかお役に立てることはありましたでしょうか?

ゆんちょさんが自分に合う「バランスの取り方」を見つけられますように!

 

 

心理カウンセラー リエコ

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自分の意見を言うのが怖く、萎縮してしまう[ココロノマルシェ]

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カウンセラーのリエコです。

今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。

ココロノマルシェとは

根本裕幸カウンセラーの「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラーが、寄せられたご相談にお答えする、お悩み掲示板です。 

+++【ご相談】+++++++++++++++++

自分の意見を言うのが怖すぎる、萎縮してしまう

いつも拝見させて頂いております。

武闘派情熱系女子の1人です。母子癒着もすごくあると思います。家庭環境が窮屈な思い出しかなく、いつも外に幸せを見出しに冒険してきました。こんな私ですが仕事でマネジメントのポストになってから社内のコミュニケーションが上手くいかず遅滞やミスが発生しています。

 

サポートで入るプロジェクトで、リーダーでやっている方へ意見を言うのが怖すぎて萎縮
→納得せずに不満を溜めながら指示に従おうとする
→やる気がないので適当だったり、確認しながら進めることが怖すぎて聞けない
→結果ミス遅滞発生
→怒られる、信頼されない、不満、萎縮…の悪循環を繰り返して、そのリーダーへの苦手意識もどんどん高まるし自分の信頼も落ちてしまっています。

 

そのリーダーの人は自分のやり方をかなり通そうとするところと、意見を言うと自分に都合のいいように1が100返ってくる感じでマシンガントークで否定、マウントを取ってくるように感じるところもあり、それが本当にしんどいです。上司やクライアントと私の前で言うことも違う所も信頼できません。。とかなり愚痴を言ってしまったのですが、その人と関わらないで仕事はできないですし、こんな状況になる前は力になりたいな、その人はクライアントやリスクに萎縮してるように見えるのでもっと楽にできるように意見を言ってコミュニケーションを取れるようになればいいなと思います。

 

ただ、ちょっとその人の意図と違う仕事をしたり、意見を言うとものすごい勢いで否定されたのが蘇ってきてどうにも意見が言えません。確認もするな、その人の仕事の様子を把握して判断しろというので些細なことすら聞けなくてちゃんと仕事ができません。

 

上司には上記のような内容ではないですが、コミュニケーションが上手くいかず業務が回ってない旨は伝えて3人で話し合いをしましたが、解決しませんでした。補足ですが、上司が一時的に離席した途端明らかに自分の都合の話をしてきたりしました。

 

他の人もその人について苦手意識は持っているようですが、業務に支障がでるほどではなく関係を築けてるようです。
その人への萎縮から抜け出し適切な関係を築くにはどうすれば良いでしょうか。


from にゃんこさん 

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にゃんこさん、こんにちは!

カウンセラーのリエコです。

職場でのコミュニケーションが上手くいかないのは、とてもストレスですね。

特に「関わらないと仕事ができない相手」とのコミュニケーションが困難だと、仕事にも差支えがでてしまうから、やっかいです。

ご相談文を読むと、にゃんこさんがたくさん心を砕いてこられた様子が伝わってきます。

 

他の人もその人について苦手意識は持っているようですが、業務に支障がでるほどではなく関係を築けてるようです。

お相手の方は、他の人からも苦手意識を持たれやすい方のようですね。

それでも、今回の問題を「相手のせい」にせず、「自分の問題」として向き合おうとされているにゃんこさんは、とても前向きで責任感の強い方なんだなと思いました。

にゃんこさんの想いが叶いますよう、「萎縮から抜け出す」という観点から、2点お話しさせていただきます。

 

        ********

 

まず1点目です。

ご相談文を読ませていただくと、コミュニケーションがうまくいかない要素として「萎縮してしまう」といった言葉がたびたび綴られています。

サポートで入るプロジェクトで、リーダーでやっている方へ意見を言うのが怖すぎて萎縮

やる気がないので適当だったり、確認しながら進めることが怖すぎて聞けない

ちょっとその人の意図と違う仕事をしたり、意見を言うとものすごい勢いで否定されたのが蘇ってきてどうにも意見が言えません。

にゃんこさんは、「お相手の反応」がこわくて、苦手意識をもってしまったんですね。

こういう感覚、過去にも、どなたか「他の人」に感じたことはありますか?

上司とか、先生とか、お友達とか、ご家族とか。。

具体的には、ご相談文に書かれているこれらの要素を持つ人です。
●自分のやり方をかなり通そうとする
●意見を言うと自分に都合のいいように1が100返ってくる感じでマシンガントークで否定
●マウントを取ってくるように感じる
●上司やクライアントと私の前で言うことが違う
●ちょっとその人の意図と違う仕事をしたり、意見を言うとものすごい勢いで否定する
●上司が離席した途端明らかに自分の都合の話をしてきたりする

もしも、にゃんこさんが「過去の人間関係」において、同じように「萎縮」を感じる方がいた場合、
にゃんこさんが「過去の人」を「リーダー」に重ねて見てしまっている可能性があります。

「過去の人」に感じていた恐怖心が、その方と似た言動をする「リーダー」を目の前にすると、蘇ってしまうのです。

もしもお心当たりがあれば、にゃんこさんがリーダーに対して「萎縮」してしまう時の感覚を思い出し、「過去の人に対する萎縮」と「リーダーに対する萎縮」とに、仕分けてみてください。

すると、「リーダー」に対して感じていた過剰な恐怖感が外れていくはずです。

 

そして、その上で是非やってみてほしいことがあります。

それは、「リーダーの魅力を探すこと」。

にゃんこさんがリーダーに対して「萎縮」の感覚がある時には、絶対にできなかったことだと思います。

だって、こわかったですものね。。

心をキュッと閉ざしている時に、相手の魅力など目に入ってくるはずがありません。

でも、「感情の仕分け」をすることで、もしも心に余裕がうまれたら、是非トライしてみていただきたいなと思います。

「(リーダーへの)萎縮を抜け出して、適切な関係を築きたい」と願い、マルシェにご相談くださったにゃんこさんですから、きっとできると思います。

リーダーの魅力に気付くことは、キュっと閉ざされていたにゃんこさんの心を柔らかくし、その願いの実現を後押ししてくれるものになるはずです。 

 

        ********

 

2点目はこちらです。

こんな状況になる前は力になりたいな、その人はクライアントやリスクに萎縮してるように見えるのでもっと楽にできるように意見を言ってコミュニケーションを取れるようになればいいなと思います。

この部分を読んで感じたのですが、にゃんこさんの目から見ると、リーダーも「クライアントやリスクに萎縮」してるように見えるんですね。

にゃんこさんご自身にも「萎縮」の気持ちがあるから、きっとリーダーの気持ちに共感してあげることができるんですね。。

リーダーが何に怖れを抱いているのかは、本人に聞かなければわかりませんが、
そうやって考えると、
「リーダーも何かに『怖れ』を持っているから、そんな態度をとってしまうのかも」
という見方ができます。

 

リーダーの態度には、今後も腑に落ちないことがあるかもしれません。

でも、もしもそんなリーダーに接した時には、「何かはわからないけど、心の中に不安があるんだな」と理解して、受け止めてあげる眼差し持ってみるのはいかがでしょう?

リーダーの態度にコワイと感じる「受け身の姿勢」から、リーダーに対して思いやりの気持ちを向ける「与える姿勢」に、転換するんです。

それはきっと、にゃんこさんとリーダーとの「繋がり」を変えていくものになるでしょうし、
にゃんこさんが必要以上に委縮せずコミュニケーションをとることへの助けになるんじゃないかな、と思います。

とはいえ、もしもにゃんこさんがリーダーの言動に「思いやりの気持ち」を持てなかったとしても、それは自然なことですから、自分を責めないでくださいね!

そんな時には、「萎縮してしまった私の心には、まだ『怖れ』があるんだな」と自分の心に寄り添い、
それでもなお「自分の中の怖れを超えて、相手の心に寄り添う」という選択肢を持つ自分を、思いきり褒めてあげてほしいと思います。

 

        ********

 

さいごに。

人間関係の改善には、少しばかり時間が必要です。

でも、にゃんこさんの中に何かしらの変化があれば、リーダーとの関わりも少しづつ変化するものと思っています。

毎日の仕事生活の中で、コミュニケーションがうまく運ばないこと、不快な想いをすることが、この先もあるかもしれないけど、
気分転換や「自分へのご褒美」をしながら、にゃんこさんがよいと思うことをやってみてくださいね。

 

また、今回のご相談では触れませんでしたが、ご相談文に書かれていた「母子癒着」のこと、また、過去ににゃんこさんが「委縮の感覚を感じてしまう人」については、機会がありましたら取り組んでみられることをお勧めします。

今回のご相談でいうと、
「母子癒着」はリーダーや問題との距離感において関わりが生じている可能性があるし、
「萎縮」については、昇華することで「似た言動をする人に出会うたびに委縮する」ことがなくなります。

ひとりで難しければ、カウンセラーが同伴しますので、頼ってくださいね。

にゃんこさんの仕事生活が心地よいものとなりますよう、お祈りしています!

 

 

心理カウンセラー リエコ

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周りはいい人ばかりなのに孤独です[ココロノマルシェ]

 

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カウンセラーのリエコです。

今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います。

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周りはいい人ばかりなのに孤独です

はじめまして、こんにちは。根本先生の本を読み、こちらに辿り着きました。どうぞ宜しくお願いします。

 

職場は、人付き合いのうまい人が多く、大変だけどみんなで頑張ろう!という、良い雰囲気だと思います。

そこに一緒に染まりたいのに、どうしても自分が浮いている感じがして孤独感に襲われます。

上司はなんでもパキパキ物を言う人なので、自分の意志がない私はあまり良く思われていないようにも思います。

 

他人軸になりがちな性格なのは自覚しているのですが、常に周りのことばかり考えていて、自分を大事にできてないからなのかなと自己嫌悪に陥ります。

 

毎日疲れて仕事に行くのが辛いです。

でも、こんな自分のまま仕事を辞めたくはなく、克服したいです。

 

何か心掛けるといいことなど、アドバイスを頂けると嬉しいです。

よろしくお願いします。

from ラテさん 

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デッドゾーンは、新しい世界への扉 ~デッドゾーンを抜け出すために~

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カウンセラーのリエコです。

 

「デッドゾーン」について記事を書くにあたり、師匠根本さんのブログをポチポチしていたら、このような記事と出会いました。

7年前の記事です。

 

そして、この部分を読んでものすごく納得したのです。

私の行動を辿ると、まさに記事の通りだったから!

 

デッドゾーンに陥るくらいですから、できることは全部やって来られてるわけです。
手が尽きたからデッドゾーンなわけです。

 

「どうしたらいいのかわからない」となった時、

私はひたすら自力で打開策を考え、

思いつくことは全部やっていきました。

その末に辿り着いたのが「思考の声から離れる」こと。

五感に集中すること、体を動かすこと、韓流ドラマをみること‥などいろいろ。

でも、この後ふたたび迷走し始めます。

 

好きなことに没頭して、心にほんの少しだけパワーが戻った頃、

このまま自堕落に過ごしていていいのかな・・
何も前に進まないまま、時間ばかりが過ぎていく・・
現状打破の「次の一手」を考えないと・・

そんな不安に包まれてしまったんです。

 

でも、自分の中のアイデアは出尽くして、これ以上何も浮かびません。

やり尽くしちゃったんです。

かといって、無気力状態はそのままで、

どうにかしなきゃと動く元気もなく、

問題にすっぽりと包まれたまま、

自分がどんな状態なのかもよくわからずにいました。

 

そこで、です。
先ほどの引用記事は、次のように続きます。

デッドゾーンに陥るくらいですから、できることは全部やって来られてるわけです。
手が尽きたからデッドゾーンなわけです。
でも、実はそれでもやってない領域があるのです。
それは・・・「やりたくないこと」。
一人でやるときって、どうしたって「できること」とか「やりたいこと」とか「この方法なら行けるんじゃないか?」というものを選びます。
嫌なこと、やりたくないことは見ないようにするか、理屈を付けてしないことを正当化します。
だって嫌なんだもの。
例えば、とても自立的にバリバリ頑張ってる人にとっては「助けを求めること」がタブーです。

 

 

そう。

デッドゾーンを抜け出すカギは「やりたくないこと」。

この記事にある通り、私も、デッドゾーンから抜け出る前にやっていたことが「2つ」ありました。

 

        ******

 

1つ目は、「助けを求めること」。

 

どういうわけだか「自力で頑張る機能」が内蔵されていた私には、

これまで「誰かに助けを求める」という発想がありませんでした。

 

何かにつけ「自分ひとり」で方法を探り、

それなりに成果を上げることができてしまったので、

もうそれが「自分のやり方」になっており、

私の中には「助けを求める」という選択肢が存在しなかったんです。

 

でも、今回の「無気力状態」は、もうお手上げでした。

もう次の一手が見つからない。

どうしたらいいのかわからない。

もうどうしようもなくなって、

師匠である根本さんに助けを求めました。

カウンセリングをしてもらったんです。

自分ひとりでできることは、もう限界で、
この状況を抜け出すには「誰かの助けが必要だ」という境地にやっと至ったわけです。

そして、助けを求めたことで、

自分の中にはない発想を与えてもらったり、
自分が自分に与えられない承認や肯定をもらったり、
ひとりの時には味わえない心強さをもらったり、

とてもたくさんの力をいただきました。

苦しみの中にいるクライアントさんの立場を体感できたことは、
カウンセラーとしてとても大切な経験となりました。

 

         ******
 

  

私が「デッドゾーン」から抜け出る前にやっていたこと。

2つ目は、「ひとり暮らしを始めたこと」です。

 

これまで何十年にもわたって検討してきたことでした。

でも、実家が通勤に便利な場所にあるからとか、いろいろ理由をつけて、実行に移せずにいたんです。

でも、意識の底では、ずっと知っていました。

「私の慢性的問題の大元があるとしたら、コレだ」ということを。

両親とのキョリが近すぎるのです。

 

これまでモニターカウンセリングを50件ほどやってきたのですが、

私とよく似た問題を抱えるクライアントさんと接するたびに「自分の問題」をみているような気持ちになり、

クライアントさんに伝える言葉が、自分に刺さりまくっている状況でもありました。

それで、「もう、どうしたらいいのかわからない」という境地に至った時、エイッと行動に移したんです。

 

結果、ものすごく自分の枠を広げることができました。

新しい部屋に住み始めて、もうすぐ半年。

日当たり良好すぎる明るい部屋で、丁寧な暮らしを目指して暮らしています。

両親との関係も、離れてみないと気づけなかったことがたくさんあって・・

それはまた機会があれば書いてみたいと思います。

 

         ******

 

書いてみて思いましたが、
私がやっていたことって、私以外の人には何でもないことばかりですね。

◆助けを求めること

◆ひとり暮らしを始めこと

大学に入りたての若者たちだって、普通にやっていることではないでしょうか。

そんな簡単なことなのに、私にとっては心理的な高い壁に阻まれて、なかなか実行に移せないことだったんですよね。。

 

本当に、根本さんのブログにある通りだったなと思います。

でも、そうして自分の枠の中から外に出たところに答えがあるのです。
それは新しい人生、新しい価値観、新しい世界を手に入れること。

おそらく、いずれはやらなくてはいけないこと。
今逃げても、また今度その機会は訪れます。
なんせ、自分の枠を広げるために自ら望んで起こしてることですから。

  

デッドゾーン」という言葉をきくと、

ネガティブな印象を持たれる方が多いかもしれません。

  でも、見方を変えれば、

「これまでのやり方では、この先には進めないよ」と言って、

「新しい生き方」や「新しいやり方」に向かって背中を押してくれるもの。

すなわちそれは、「バージョンアップのきっかけ」ともいえます。

 

私の場合は、

・「助けを求める」という選択肢を増やせたこと

・クライアントさんの気持ちを理解できたこと

・実家から独立し、今とても自分らしく暮らせていること

などなど、たくさんの恩恵がありました。

むしろこれを学ぶための半年だったのかなぁとさえ感じるほど。。

 

これを読んでくださっているみなさんの中に
もしも「燃え尽き」や「デッドゾーン」を迎えた方がいらっしゃるなら、

その時には「チャンス!」と思って、

新しい世界への扉を開いてみてはいかがでしょうか。

それまでの自分には想像できない世界が待っているかもしれませんよ!

 

 

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「デッドゾーン」とは、「燃え尽き」のその先にある世界

(2021.12 改訂)

 

心理カウンセラーのリエコです。

8月のある日。

私はベットにごろんと横になって、ぼーっと天井を眺めていました。

体のだるさとは違った「虚無感」のようなモヤモヤに、すっぽりと包まれながら。

  

無気力でポカーンとなって、やる気がおきない。

楽しいことがぜんぜん思い浮かばない。

坂道をころげ落ちていく感覚・・でも抗う気力がわかない。

心の中が、色彩を失っている感覚。

 

 自分がどうなってしまっているのか、全くわかりませんでした。 

これまではどんなにダルくても「えいっ」と気合を入れて頑張れたのに、ぜんぜん力が入らないのです。

この時は自覚がなかったけど、

私は「燃え尽き」と呼ばれる状態に陥っていたようでした。

 

私の心はどうなってしまったんだろう?
どうしたら元気を取り戻せるんだろう?

不安でいっぱいになると「なにもしない」ではいられません。

そして、もがけばもがくほど迷走し、
もがくほどに「自己否定」も強まり、
さらに「極の状態(デッドゾーン)」へ自分を追い込んでいったのでした。

 

 

そんな試行錯誤の日々は、そのあと半年ほど続いて、
ようやく自分を俯瞰できるようになってきた今日この頃。

「自分を俯瞰できる」とは、「問題にすっぽりと包まれている状態」から抜け出せたということ。問題軸から自分軸を取り戻せたしるしです。

 

そして、今。
私は半年前とは全く違う景色の中で暮らしています。

 

いろいろなケースがあると思いますが、

今日は、私が経験した「デッドゾーン期」「末期状態からの抜け出し方」について、書いてみたいと思います。

 

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目標に向かって何かに打ち込んでいく中で、燃え尽きたり行き詰ったりすること、頑張り屋さんには多いのではないでしょうか?

それが「極」に達した状態が、「デッドゾーン」です。

 

師匠の根本さんのブログには、こんな風に書かれています。

【用語解説】デットゾーン
デッドゾーンとはその名の通り心が死んだような状態のことで、「何も感じられない」「燃え尽きた」「心が動かない」「完全に諦めてる」と言った言葉で表現されるものです。

 

デッドゾーンの存在は知っていましたが、まさか自分が陥るとは!

経験したことのない感覚に襲われた私は、とても戸惑いました。

そんな状態に陥った原因も、未だに心当たりがありません。

ただ「日常のいろいろ」を淡々とこなしていただけだったんです。

もしかしたら、気づかないうちに、小さなストレスが積もり積もっていたのかもしれませんね。
それらを、持ち前の「我慢強さ」でナチュラルにスルーし、ブルドーザーみたいに前に進んでいたのかも。。

心理学でよく例えられる「茹でガエル」みたいに、
私も気づいた時には茹で上がっていたのかもしれません。

「茹でガエル」:カエルが浸かっている水が、じわじわと温度を上げていき、それがいつしか熱湯になって、気付いた時には茹でガエルになっていた・・という状態の比喩。

 

私は一体どうなっちゃったんだろう?
どうしたらいいのかわからない。。

 

そうなった時、「自力でなんとかする」機能が内蔵されている私は、どうにか自分を救う方法を考えました。         

 元気がでること、ないかな。
 心が潤うことって何だろう。
 固まってしまったココロを、どうにか救わなければ。。

 

でも、不安に駆られた時って、思考はどんどんネガティブな方向に向かいます。

問題にすっぽりと包まれたそのアタマでどれだけ考えても、問題解決につながる「道」は見つかりようがないのです。

 

なので、もしもあの時の自分に声を掛けてあげられるなら、私はこんな風に伝えたい。

なにも抗わず、難しいことを考えず、「思考の声」を聞き流しなさい。

”今は何もできないんだから仕方がない”と諦めて、ひたすら自分を甘やかし、好きな事に没頭しなさい、と。

 

        *****

 

心の中の不安をかきたてるのは、だいたいにおいて「思考」です。

未来の心配事も、過去の後悔も、いま目の前に起きていることではないのに、

頭(思考)が勝手に思いめぐらせて自分に囁いてくるから、

その声に「心」が掻き立てられてしまうんです。

そして、

動けない自分に自己嫌悪したり、
無気力な自分を「怠惰だ」と感じたり、
何もできず時間ばかりが過ぎていくことに無力感を感じたり・・と、

自分を疲弊させていきます。

 

私が「思考の声」から離れる方法として効果を感じられたのは、こんなことでした。

①五感に集中する
「感覚」と「思考」って同時には働けないんです。
五感に集中する、という瞑想もあるくらいなんですよ!
味わう事、香りを嗅ぐ事、美しいものを見る事、好きな音楽を聴く事、など。

②体を動かす。
体感に集中して体を動かします。①と同様の効果があります。
散歩、ストレッチ、など。

③韓流ドラマを観る
実は、私にいちばん効いたのは「韓流ドラマ」でした。稚拙でお恥ずかしい!
韓流ドラマは視聴者をドラマの世界に引き込むのがとても上手で、感情もたくさん揺さぶってくれるので、キュンとウキウキの世界に簡単にトリップできます。
それに、どっぷりと浸ることで、思考が入り込む「隙」を埋めてくれるんです。
あの頃の私は、ちょっとだけ「韓流ドラマ依存症」だったかも笑

 

そんな日々を1ヶ月くらい過ごしていたら、
韓流ドラマが「依存するもの」から「楽しむもの」に変わっていました。

そして、時間をかけてゆっくりと少しづつ、無気力な状態が溶けていきました。

末期状態を脱したんです。

 

         ******

 

デットゾーンは、「これまでと同じやり方では、この先には進めないよ」というメッセージ。

私にとっての「これまでのやり方」とは、

私の中にあまりにも自然に存在していた「自覚のない観念」でした。

それを、このあと数か月かけて知っていくことになります。

 

しんどくて不安な日々だったど、

振り返ってみると「デッドゾーン」は、

これからの私がもっと自由になるための、

とても重要な節目だったなぁと思っています。

 

次の記事では、「デッドゾーンを抜け出す」までに私がやってきたことを書いてみたいと思います。

 

 

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「休職」からの社会復帰が心配。[ココロノマルシェ]

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長く療養を取ると、仕事に、社会復帰に、できるものなのでしょうか?

はじめまして。
アラサーのしーたけと申します。
私は3月の初旬から現在まで、体調を崩して会社を休んでいます。
体調を崩したと言いますと、持病の喘息を日々の疲れなどからこじらせてしまい、息切れ症候群と医者から診断されました。
息切れ症候群とは、体内の酸素が足りなくなっていて日々疲れやすかったり、活動すると、ハアハアと息切れがすぐしてしまったりすることらしいです。
3.4月と自宅で療養し、その症状が前より改善されてきた実感があったので、職場に迷惑もかけているし、もう戻らなくちゃ…と思い、再度病院を受診したところ、まだ改善が少ししかできていないから、働いてもいいけどあんまり無理はしない方がいいと言われました。
私自身も体調はまだ完全に症状はよくなっていない気はしていますが、少なくとも前よりはよくはなっているので、復帰を考えていました。
ただ病院受診後、やっぱりもうちょっと休んだ方がいいのでは…?という思いもかけ巡っていて、あまり長く休みすぎても逆に社会復帰できなくなりそう…と不安になってしまったり(気持ちは行きたいのに、拒絶反応?とか、出たりとかするのかな…とか思ったりしちゃいます)、職場に迷惑もかけていたりするので、早く戻らなきゃ…という気持ちも出てきて、色々考えたいたらどうしていいかわからなくなり、涙が止まらなくなって、ここにわーっと相談させていただきました。
長く療養を取っていると、仕事に、社会復帰に、できるものなのでしょうか?そこが一番不安な点です。
個人的なお話もさせていただきましたが、よろしくお願いします。

 from しーたけさん

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しーたけさん、はじめまして!

カウンセラーのリエコです。

ご相談をいただいてから、少し時間が経ってしまいましたが、その後ご体調はいかがですか?

休職して日が経つにつれ、職場を不在にしていることへの不安、周りの方に迷惑を掛けることへの申し訳なさ、今後の仕事生活への不安など、いろいろな気持ちが重なってぐるぐるしてしまう気持ち、、とてもよくわかります。。

自分が不在にすることで、誰にどんな負担を掛けることになるのか想像できてしまうなら、その気持ちはなおさら大きいものではないでしょうか。

私は、休職から仕事復帰して、もうすぐ1年になります。

私の休職経験が何かしらお役に立てるかもしれないなぁと思い、この1年を振り返りつつ、回答させていただこうと思います。

 

 

◆社会復帰のタイミングについて

3.4月と自宅で療養し、その症状が前より改善されてきた実感があったので、職場に迷惑もかけているし、もう戻らなくちゃ…と思い、再度病院を受診したところ、まだ改善が少ししかできていないから、働いてもいいけどあんまり無理はしない方がいいと言われました。

現実問題として、復帰時期の見極めは非常に難しいものだと思います。

私の場合は、体調不良の症状が、カラっと改善するものではなく、1年~数年かけてゆっくりと回復するといわれるものだったので、どの程度の回復で「仕事復帰」をするのかも、自分の感覚や判断に委ねられました。

初めてのことだし、とても判断が難しかったけど、周りの方にアドバイスをもらいながらよくよく考え、「もう体調は大丈夫!」と確信して3ヵ月で復帰。

それでも、1年が経った今、あの頃の状態を振り返ると、ぜんぜん「大丈夫」ではなかったぁなと感じています。

確かに、いちばん辛かった時期に比べたらだいぶ動けるようにはなっていたのですが、「体調不良ではない」というだけで、「元気に働ける」レベルには至っていなかったということは、実際に働いてみないとわからないことでした。

また、復帰後すぐは体が思うように動かず、とても混乱しました。
頭は「休職前の仕事ペース」を覚えているので、同じように仕事を進めようと体に指示出しをするのだけど、体がぜんぜんついてこないのです。
なので、初めの頃は、想定していた仕事量をこなせなくてヤキモキ。
そして、少しして体が慣れてくると、こんどは無意識に「休職前のペース」に合わせて、体を動かそうとしていきます。
でもそれは、病み上がり体にとってはハイペース。結果的に無理を重ねることになり、午後の4時頃になるとスタミナが切れてぐったり。。

そんなことが続いて、復帰後の数週間で「このままだとまた元の症状に戻ってしまう」「自分の体は自分で守らなければならない」という思いに至ります。

もしも今「休職中の私」に言葉を掛けられるとしたら、「しっかりと動けるようになるまで休みなさい」と言いたいです。その見極めが難しくはあるのですけどね。。
でも、結果的には、支えてくれた周りの方に「ありがとう」をお返しするためにも、それがいちばん大切だと感じています。

もしも、しーたけさんが既に復帰されていたら、「自分のペース」を大切にお過ごしくださいね!

 

 

◆社会復帰への想い。

長く療養を取っていると、仕事に、社会復帰に、できるものなのでしょうか?そこが一番不安な点です。

初めての休職生活において、「社会復帰」への不安は大きいものだと思います。

私も初めてでしたので、休職中はしーたけさんと同じような想いがありました。

 「これ以上休んだら社会に復帰できなくなるのではないか」
 「休養生活に慣れすぎて、仕事生活のペースに戻れなくなるのではないか」

この「社会復帰できないこと」への不安。
掘り下げていくと、私の場合はそこに「社会復帰できない⇒お給料がもらえない⇒生活できない⇒生きていけない」といった潜在的な怖れがありました。だから、社会生活に戻れなくなることが怖かったんです。

でも、復帰して体調不良のしんどさを感じ始めると、「やっぱり、私にとっては体が健康であることが一番大事なことだ」と思い至り、私はそれらの怖れを「健康な体で仕事を楽しみたい」という目標に転換し、健康な体を取り戻すことにコミットしました。 

同じ状況で「これまで通り会社で仕事をすることは自分の体にとって負担が大きいから、社会復帰するために、自宅でできる仕事に転職しよう」とか「自分のペースで社会復帰を果たすために、フリーで仕事ができるよう資格を取ろう」と考える人もいるかもしれません。

しーたけさんが「社会復帰できるものなのか(できなかったらどうしよう)」と不安に感じるのは、どのようなことに対してでしょうか?

怖れのモトに気付けると、その対策をたてることができるようになります。
いちど掘り下げてみてはいかがでしょうか?

  

 

◆「休職」が教えてくれること。

なぜ休職するに至ったのかを一言で表すと、私の場合は「休職前の仕事環境が、自分の心や体のペースに合っていなかったから」だと思っています。

仕事生活の中に、楽しさ/やりがい/義務/責任感/仲間との連携/などが増すにつれ、自分の心や体を「仕事」に合わせるようになっていきました。いつの間にか「仕事軸」になっていたんです。

体調を崩したと言いますと、持病の喘息を日々の疲れなどからこじらせてしまい、息切れ症候群と医者から診断されました。

私自身も体調はまだ完全に症状はよくなっていない気はしていますが、少なくとも前よりはよくはなっているので、復帰を考えていました。

「職場に迷惑をかけている」ことが気にかかり、まだ体調が十分に回復していないのに、復帰を検討されているしーたけさんは、とてもまじめで、周りの方への配慮もできる、思いやりのある方なのだなぁと感じました。

でも、周りの方を想うあまり、自分のことを二の次にしてしまっているところに、私と同じ「仕事軸」な感覚があるように感じたのですが、いかがでしょうか?

 

この休職は、「仕事軸(他人軸)になってるよ」というアラートだと思うのです。 

「2度目の休職」を迎えないためにも、この機会にいちど仕事との付き合い方を見直して、「自分軸」な自分らしい働き方を見つけてみませんか?

★私にとって、私生活と仕事のベストなバランスは?
★私はどんなペースで働きたい?
★そもそも、今の仕事は自分にあってる?
★もしも自由に仕事を選べたら、この仕事を選ぶ?

 こんな風に、いろいろな視点で「今の仕事」を眺めた上で、復帰後にはどんな仕事生活にしていきたいのかを、できるだけ具体的に描いていきます。例えば、

☆仕事と私生活のバランスを「仕事9:私生活割⇒仕事6割:私生活4」にして、もっとプライベートを充実させたい。
☆今の仕事場で、ゆくゆくはこんな仕事もしてみたいから、仕事しながら〇〇を学んでみよう。

もしも復帰後に「同じ環境」「同じ仕事」に戻った場合、意識していないとつい休職前の「お馴染みの生活スタイル」に戻ってしまいがちですが、このように具体的なビジョンを描いておくと、仕事軸にぶれかけても、スッと「在りたいポジション=自分軸な仕事スタイル」に戻ることができます。 

 

 

自分の体は自分でしか守ることができません。

もしもまだしーたけさんが療養中でしたら、是非ご自分の体としっかりと向き合って、復帰後の生活が、より自分らしく、有意義になるための「自分との作戦会議」の時間にあててみてはいかがでしょうか?

もしも既に復帰されているのでしたら、意識的に休息をとりながら、是非しーたけさんの「体調に合った仕事のペース」「自分軸な仕事スタイル」を探して見てください。

くれぐれもお体をお大切にお過ごしくださいね!

 

 

心理カウンセラー リエコ

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自分の感情がわからない。「感じること」から逃げていた私の話。

私は「感情を感じること」があまり上手ではありません。
心理学と出会う前に比べたら、ものすごく成長したと思うけど。。

以前は「自分が何を感じているのかよくわからない」こともある中で、「感情に翻弄されること」がよくありました。
そして、今よりもっと混乱していたし、その状態から抜け出すのにとても時間がかかり、
またそれに伴う「自分責め」もひどくて、ものすごく消耗していました。

心の世界は広くて深いから、まだ全てを把握できているわけではないけど、
以前の私が感じていた「感情の世界」を振り返ってみたいと思います。

◆「感じること」から逃げていた頃のこと。
感情が溢れそうになると、すぐに「思考」を働かせて気持ちを切り替えることを、よくやっていました。
例えば、何かしらの出来事で感情が溢れても、その感情に寄り添うことをせず、「こういう時はこうするべきだ」と思考的に気持ちを切り替えて行動したり、ポジティブな側面を探したりして、「感じること」を封じてしまうのです。
そうやって、感情に蓋をしつづけていたら、自分が「何を感じている」のかよくわからなくなっていきました。
自分が「何がしたい」とか、「どうしたい」のかも。
なので、長い間、私は自分のことを「感情に疎いタイプ」だと思っていました。

自分の感情に寄り添えないから、人の感情にも寄り添うことができず、
辛い気持ちを抱えた人に元気になって欲しくて、普段自分にやるように「気持ちを切り替えて頑張れ!」と励ましてしまうこともありました。
ヒドイでしょう、、、思い出すと冷汗でちゃう!
でも、その頃の私は、そういうやり方しか知らなかったんですよね。。
辛くなるとサッと気持ちを切り替えて、前向きさを発揮する。
そうやって、自分の心を守ってきたのだと思います。

特に痛みの大きな、いわゆる「慢性的な問題」については、ブレーカーが飛んじゃうみたいに何にも感じなくなっていました。
例えば、お弟子講座での根本さんのデモセッションで。
周りのお仲間たちが感極まって涙している場面で、私は何も感じることなく、目の前で繰り広げられているロールプレイセッションを、まるでドラマを見ているみたいにぼーっと眺めていました。
根本さんは、それを「フォーカスパーソンと同じ痛みを持っているから、感情がフリーズしているのだ」と説明してくれました。
その時まで、自分がそんな状態であることにも気づいていませんでした。
重症患者です。

「感じないように蓋をする」のは、痛くて感じたくないからです。
でも、感情って、蓋をしてもなくならないし、感じなくなっても「在る」ことに変わりありません。
蓋をすることで、感じきれなかった感情は、やがて意識の下に潜って、無意識に自分を動かしていきます。
自分にとって「慢性的な問題」と出会うたびに、意識の下の感情が暴れて、自分を翻弄していくのです。
すると途端に、自分のエゴが刺激され、思考のクセや思い込みが「見ている世界」を歪ませて、自己肯定感が急降下して、自分をちっぽけに感じるようになって、心がペチャンコになって。。
そうやって、どんどん「自分の中心」「ニュートラルな自分」から離れていきます。

結局のところ、私は「感情に疎い」のではなく、心が人一倍繊細だったのだと思います。
その「繊細さ」で全ての感情を感じると、社会生活でとても生きづらいから、自分を守るために感情に蓋をしてきたのでしょう。
自分の感情と上手に付き合うことができなくて、「感じる」ことから逃げていたのだと思います。



◆感情を怖れなくなったきっかけ。
そんな私が、感情を怖れなくなったきっかけは、「自分の心と向き合い続けてきたこと」の中にあったように思います。
お弟子講座の学びや、モニターカウンセリングをしていく中で、自分自身の「慢性的な問題」とたびたび出会い、その都度深く掘り下げていったんです。
「痛い」と感じるポイントを知ったり、「痛み」となる背景を探ったり、「痛み」のその下にある想いを見つけたり。
下手なりに一生懸命掘り下げていくうちに、だんだんと自分の心を理解できるようになってきたような気がしています。

例えば、未知のものって、実物よりも大きく恐ろしく感じるでしょう?
でも、実体が把握できていると、受け止めやすいですよね。
感情も一緒で、その実態や背景を知ることで、怖がらずに受け止められ、逃げたり蓋をしたりして自分を守らなくても大丈夫になっていったのかもしれません。

また、心の中を「ただ眺める」という概念を知ったことも大きかった。
心の中を眺める「目」を持ち、良いとも悪いとも判断せずに、思考を働かせず、「ただ見る」のです。
もしも感情にすっぽりと包まれてしまっても、「すっぽりと包まれている自分」を見ている自分は、その渦中にはいません。
すると、心の中にスペースができ、それが余裕につながります。
渦中で翻弄されるのではなく、「それで、わたしはどうしたいのか」という自分軸に戻れるのです。
その上で、もしもしんどいと感じたら、その自分を一旦脇に置いて深呼吸することもできるし、
自分では手に負えないと感じたならば、誰かに助けを求めることもできます。

そうやって、感情の対処法を覚えても、感情が溢れることがなくなるわけではありません。
でも、以前よりも消耗が少なくなってきたように思います。
そして、「私の心はどうなってしまったんだろう」と不安になったり、思考で感情を逃すことがなくなっていきました。



◆感情を感じることの恩恵
感情は、のまれてしまうと厄介だけど、上手にお付き合いできると、数えきれないくらいたくさんの恩恵を与えてくれます。
以前にはなかった「私にとっての恩恵」は、こんなことです。
★自分のことを知るためのツール。
自分が「どんな痛みを持っているのか」を知ることで、自分を理解し守ることができます。
また、自分の感情に素直になることで、ビジョンを描くことができます。
★自分との絆が深まる。
自分の感情に寄り添えるようになると、心強くなるし、自分が自分の味方になることで、自己肯定感を上げることにもつながっていきます。
★人の感情を怖れなくなる
自分の感情と向き合えるようになったら、「自分の感情は自分のもの」ということが肚に落ちて、誰かの感情に触れても「その人の感情はその人のもの」と思えるようになりました。


これが、この1年間の私の成果。
まだ上手とはいえないけど、これからも試行錯誤しながら考察していこうと思ってます。
そして、これからは「繊細さ」を嫌わず、「情緒の豊かさ」として伸ばしていきたいなぁ!


心理カウンセラー リエコ

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