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心理カウンセラーリエコのブログ

自分の感情がわからない。「感じること」から逃げていた私の話。

私は「感情を感じること」があまり上手ではありません。
心理学と出会う前に比べたら、ものすごく成長したと思うけど。。

以前は「自分が何を感じているのかよくわからない」こともある中で、「感情に翻弄されること」がよくありました。
そして、今よりもっと混乱していたし、その状態から抜け出すのにとても時間がかかり、
またそれに伴う「自分責め」もひどくて、ものすごく消耗していました。

心の世界は広くて深いから、まだ全てを把握できているわけではないけど、
以前の私が感じていた「感情の世界」を振り返ってみたいと思います。

◆「感じること」から逃げていた頃のこと。
感情が溢れそうになると、すぐに「思考」を働かせて気持ちを切り替えることを、よくやっていました。
例えば、何かしらの出来事で感情が溢れても、その感情に寄り添うことをせず、「こういう時はこうするべきだ」と思考的に気持ちを切り替えて行動したり、ポジティブな側面を探したりして、「感じること」を封じてしまうのです。
そうやって、感情に蓋をしつづけていたら、自分が「何を感じている」のかよくわからなくなっていきました。
自分が「何がしたい」とか、「どうしたい」のかも。
なので、長い間、私は自分のことを「感情に疎いタイプ」だと思っていました。

自分の感情に寄り添えないから、人の感情にも寄り添うことができず、
辛い気持ちを抱えた人に元気になって欲しくて、普段自分にやるように「気持ちを切り替えて頑張れ!」と励ましてしまうこともありました。
ヒドイでしょう、、、思い出すと冷汗でちゃう!
でも、その頃の私は、そういうやり方しか知らなかったんですよね。。
辛くなるとサッと気持ちを切り替えて、前向きさを発揮する。
そうやって、自分の心を守ってきたのだと思います。

特に痛みの大きな、いわゆる「慢性的な問題」については、ブレーカーが飛んじゃうみたいに何にも感じなくなっていました。
例えば、お弟子講座での根本さんのデモセッションで。
周りのお仲間たちが感極まって涙している場面で、私は何も感じることなく、目の前で繰り広げられているロールプレイセッションを、まるでドラマを見ているみたいにぼーっと眺めていました。
根本さんは、それを「フォーカスパーソンと同じ痛みを持っているから、感情がフリーズしているのだ」と説明してくれました。
その時まで、自分がそんな状態であることにも気づいていませんでした。
重症患者です。

「感じないように蓋をする」のは、痛くて感じたくないからです。
でも、感情って、蓋をしてもなくならないし、感じなくなっても「在る」ことに変わりありません。
蓋をすることで、感じきれなかった感情は、やがて意識の下に潜って、無意識に自分を動かしていきます。
自分にとって「慢性的な問題」と出会うたびに、意識の下の感情が暴れて、自分を翻弄していくのです。
すると途端に、自分のエゴが刺激され、思考のクセや思い込みが「見ている世界」を歪ませて、自己肯定感が急降下して、自分をちっぽけに感じるようになって、心がペチャンコになって。。
そうやって、どんどん「自分の中心」「ニュートラルな自分」から離れていきます。

結局のところ、私は「感情に疎い」のではなく、心が人一倍繊細だったのだと思います。
その「繊細さ」で全ての感情を感じると、社会生活でとても生きづらいから、自分を守るために感情に蓋をしてきたのでしょう。
自分の感情と上手に付き合うことができなくて、「感じる」ことから逃げていたのだと思います。



◆感情を怖れなくなったきっかけ。
そんな私が、感情を怖れなくなったきっかけは、「自分の心と向き合い続けてきたこと」の中にあったように思います。
お弟子講座の学びや、モニターカウンセリングをしていく中で、自分自身の「慢性的な問題」とたびたび出会い、その都度深く掘り下げていったんです。
「痛い」と感じるポイントを知ったり、「痛み」となる背景を探ったり、「痛み」のその下にある想いを見つけたり。
下手なりに一生懸命掘り下げていくうちに、だんだんと自分の心を理解できるようになってきたような気がしています。

例えば、未知のものって、実物よりも大きく恐ろしく感じるでしょう?
でも、実体が把握できていると、受け止めやすいですよね。
感情も一緒で、その実態や背景を知ることで、怖がらずに受け止められ、逃げたり蓋をしたりして自分を守らなくても大丈夫になっていったのかもしれません。

また、心の中を「ただ眺める」という概念を知ったことも大きかった。
心の中を眺める「目」を持ち、良いとも悪いとも判断せずに、思考を働かせず、「ただ見る」のです。
もしも感情にすっぽりと包まれてしまっても、「すっぽりと包まれている自分」を見ている自分は、その渦中にはいません。
すると、心の中にスペースができ、それが余裕につながります。
渦中で翻弄されるのではなく、「それで、わたしはどうしたいのか」という自分軸に戻れるのです。
その上で、もしもしんどいと感じたら、その自分を一旦脇に置いて深呼吸することもできるし、
自分では手に負えないと感じたならば、誰かに助けを求めることもできます。

そうやって、感情の対処法を覚えても、感情が溢れることがなくなるわけではありません。
でも、以前よりも消耗が少なくなってきたように思います。
そして、「私の心はどうなってしまったんだろう」と不安になったり、思考で感情を逃すことがなくなっていきました。



◆感情を感じることの恩恵
感情は、のまれてしまうと厄介だけど、上手にお付き合いできると、数えきれないくらいたくさんの恩恵を与えてくれます。
以前にはなかった「私にとっての恩恵」は、こんなことです。
★自分のことを知るためのツール。
自分が「どんな痛みを持っているのか」を知ることで、自分を理解し守ることができます。
また、自分の感情に素直になることで、ビジョンを描くことができます。
★自分との絆が深まる。
自分の感情に寄り添えるようになると、心強くなるし、自分が自分の味方になることで、自己肯定感を上げることにもつながっていきます。
★人の感情を怖れなくなる
自分の感情と向き合えるようになったら、「自分の感情は自分のもの」ということが肚に落ちて、誰かの感情に触れても「その人の感情はその人のもの」と思えるようになりました。


これが、この1年間の私の成果。
まだ上手とはいえないけど、これからも試行錯誤しながら考察していこうと思ってます。
そして、これからは「繊細さ」を嫌わず、「情緒の豊かさ」として伸ばしていきたいなぁ!


心理カウンセラー リエコ

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