今日は『ココロノマルシェ』に寄せられたご相談にお答えしたいと思います!
根本裕幸カウンセラーの「お弟子さん制度」を卒業したカウンセラーが、寄せられたご相談にお答えする、お悩み掲示板です。
+++【ご相談】+++++++++++++++++
職場、友人、恋人など、お菓子や色んな物を頂く機会がありますが、気になった事があります。
前は喜んで受け取り、部屋に飾ったり食べたりして、お返しもよくしていました。
ですが、最近は真逆です。お菓子の場合
「食べたいと思わない物はあまり食べたくない」
「食べるのは信用している人からだけ頂いた物を食べたい」
雑貨では
「基本的に部屋に入れたくない」
「部屋で1人でいたい。それを飾るとその人の顔を思い浮かぶから嫌」
と感じるようになりました。
特に手編みのマフラーを頂いた時は、重いと感じてダメでした…
職場ではギスギスした環境なので、貰っても餌で釣ってる感があります。(他の人も同じような事を言っていました)
元彼と付き合ってた時もプレゼントされましたが、あまり使わない物だったのでそのままにしていたら「使ってくれないの?」と聞かれて何か嫌だなぁと思いました。
それからは友人や恋人には「私は○○が好き」と伝えるようになりました。
前のようにお返ししていた時は、失礼がないように、礼儀だからと少しネガティブな要素を感じつつお返ししていましたが、今はそれがないので楽ではあります。
これはパーソナルスペースやこだわりが強くなってきたから、このような事が起こっているんでしょうか?宜しくお願いします。
+++++++++++++++++++++++++++++
どんちゃんさん、はじめまして!
カウンセラーのリエコです。
「以前は喜んで受け取れたものが、最近になって急に真逆になってしまった」
私の心はどうなってしまったんだろう?って気になってしまいますよね。
いただいたご相談文からヒントを拾って、私なりに読み解いてみたいと思います。
まず、私がご相談文を読んで感じたのは、今どんちゃんさんの中には「物を受け取る=相手の想いに支配される」といった概念があるのかなぁということでした。
物には相手の想いが込められているから、物を受け取るということは「こちらの想いとは関係なく、相手の好意を相手の期待通りに受け止めなければならない」といったような。
なので、「私は私の感じたまま、自由でいたいの!」という気持ちになって、重たく感じてしまうのです。
もしもそうなら、こんな感覚になるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
●「食べたいとは思わない物はあまりたべたくない」
⇒受け取るということは相手の想いも受け取ることだから、相手の期待通りに喜んで食べなければならない。でも、食べたいと思わないものは食べたくない。
●「食べるのは信用している人からだけ頂いたものを食べたい」
⇒信用していない人の想いを、食べ物として体の中に取り入れたくない。信用している人から頂いたものなら、安心して食べられる。
●「部屋で1人でいたい。それを飾るとその人の顔を思い浮かぶから嫌」
⇒部屋で1人でいたいのに、それを飾ることで『その人の想いがそこに在る=その人がいる』感じがして、部屋にその人がいるみたいで嫌だ。
◆「真逆」になったのはなぜだろう
でも、気になるのは、「以前は喜んで受け取り、部屋に飾ったり食べたりして、お返しもよくしていました。」という部分。
それについては、ご相談文を読んで、2つの考えが浮かびました。どんちゃんさんは、これを読んで、どちらかご自覚はありますか?
①何かしらの痛みを経験した
こちらのご相談文には書かれていないことなので、勝手な想像ですが、
どんちゃんさんが「頂き物」に対して真逆の受け止め方をされるようになったのは、何かしらの痛みを経験され、同じ痛みを味あわなくて済むよう、自分を守るために、そのような感覚を持たれるようになったのかなと思いました。
例えば、物をもらうことで何かを要求されて嫌な思いをした/お返しをすることで不快な想いをした/自分が想いを込めて渡したものが受け止めてもらえなかった/何かしらの事情で人との付き合い方が変わった/などなど。
もしもカウンセリングの場でしたら、
●いつから今のような状態になったのですか?
●なにか「きっかけ」がありましたか?
とお伺いしてみたいです。
②それが、どんちゃんさんの「もともとの概念」だった
ご相談文を読んで、どんちゃんさんはとても繊細で気遣いのある女性なのだろうなと感じました。
そして、前のようにお返ししていた時は、
失礼がないように、礼儀だからと少しネガティブな要素を感じつつお返ししていました」と書かれているように、
礼節をわきまえていらっしゃる方だからこその「相手に感謝やお礼の意識をもたなければならない」という想いがあり、
「相手の好意」を迷惑のように感じ始めてしまった自分に、違和感を持たれているのかもしれません。
もしかしたら、以前は「当たり前」と感じていた「礼節に従いお礼やお返しをすること」も、本当は苦痛だったのかもしれませんね。
そして、より「自分らしさ」が色濃くなるにつれ、本当の自分の感性に抗えなくなってきたのかもしれません。
そうなると、「パーソナルスペースやこだわりが強くなってきたから」というよりは、
「自分らしさにどんどん近づいている、自分の心との繋がりが強くなっている」ということなのではないでしょうか?
それは「自分の心地よさを知っている」ということであり「自分を大切にすること」につながります。
なので、もしも頂き物をしたときに抵抗を感じたなら、「自分が感じたまんま」に従えばよいのではないかなと、私は思います。
好みだって、物に対する価値だって、人それぞれですもの。
相手の想いと、どんちゃんさんの想いだって、違っていて当然です。
その時に、あげる側も、受け取るどんちゃんさんも、どちらもストレスのない「コミュニケーション」ができるといいですよね。
◆物と心を切り離してみる。
どちらにしても、「物を受け取る=相手の想いに支配される」という想いがあるなら、それはどんちゃんさんをとても窮屈にする考え方です。
どんちゃんさんは、「人の想い」をとても大切に感じているからこそ、そんな風に窮屈になってしまうのかもしれませんね。
以前、断捨離の本に「愛情は物にかけるものではありません。人にかけるものです。」といったことが書かれていて、とても印象に残っています。
どんちゃんさんは、「物と心」そして「人と自分」の境界線があいまいになっている傾向をお持ちなのかなと、ご相談文を読んで感じました。
お心当たりはありませんか?
「人の想いは人のもの、自分は自分」という「自分軸」の概念にシフトしていけたら、このあたりはラクになると思います。
◆コミュニケーションを学ぶ機会にしよう
「物と心」を切り離すことができたら、「頂き物」に対してもうすこしフラットに受けとめられるはず。
そうしたら、どんちゃんさんが「頂き物」に対してより自分らしくストレスのない対処ができるように、また贈り主にもストレスがないように、「コミュニケーション」でカバーしていくのはいかがでしょう?
人の感覚として、「贈り物をしたら喜んでもらいたい」と思うのは自然なこと。
その相手の想いを「受け取ること」「感謝すること」も、どんちゃんさんの心を豊かにする大切な肥しになります。
なので、もしも「コレいらないんだけどなー」と感じたとしても、物と心を切り離して、相手の心に対しては「ありがとう」をして、物については自分の好きなようにすればいいのではないかと私は思います。
さらに、「友人や恋人には『私は○○が好き』と伝えるようになりました。」と書かれているように、自分の「好み」や「頂き物に対する考え方」を身近な人たちに伝えておくことも、大切なコミュニケーションですね。
ご質問のお答えになりましたでしょうか??
何かしらご参考になりましたら幸いです。
ご相談をありがとうございました。
心理カウンセラー リエコ