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心理カウンセラーリエコのブログ

感情がフリーズする、とは

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12月のお弟子講座。

根本さんのデモセッションは「社会と戦う男性性の自立、権威との葛藤」の物語。

ロールプレイが進むほどに「場」が一体となり、

クライアントさんと同じ心の痛みをもつオーディエンスが感情を抑えきれず涙すると、その波動が周りに伝わって、会場全体の空気がガラリと変わっていきます。

ただただ、ココロって不思議で面白いなぁと、興味をかきたてられる実演でした。

 

そして翌日の「デモセッションの解説&質問会」でのこと。

私は挙手し、根本さんにこんな質問をしました。

私   :感情を切った状態から、感情を取り戻すためには、どんな方法がありますか?

前日に行われた根本さんのデモセッションで「感情を封じて思考的に働き続け、ハードワークになっていく」という流れがあり、それに絡めて、こんな質問をしてみたのです。すると、根本さんから逆に質問が。

根本さん:昨日のロールプレイを観て、何を感じてた?

私          :う。。何も感じてなかったです。。 

 

ロールプレイとは、劇のように役割を演じて「心の中に起きている問題」を再現するもの。象徴的な言葉や動きを用いて疑似体験をしながら、心に効果的に働きかけ、痛みを昇華していきます。

そう言われるまで気づいていなかったけど、共感で涙するお仲間がたくさんいる中、私は何も感じていませんでした。

感じることなく、ロールプレイの人の動き/感動の渦に包まれるセミナールームの空気感/涙するお仲間の姿を、まるでドラマを観るような感覚で眺めていたんです。

 

根本さん  :昨日つっこもうと思ってたんですよ、フリーズしてたから。

なぜ感じなかったのか。

根本さん曰く、途中からスパッと「感じる」が出来なくなった人は、ロールプレイと全く同じパターンを持っている人。痛すぎて、ブレーカーが飛んでる状態なのだそう。

そういった場合、その人が感情の蓋にしているのは、必ず「怒り」。

 

根本さん  :感情を感じられないなと思ったら『私、何に怒っているだろう』と探してごらん。

その怒りの後ろ側に隠しているのは、感じたくない感情であり、自分では絶対に見つけたくないもの。

痛すぎてブレーカーが飛んでしまうほどの大きな感情が、私の中にある。。

でも、ロールプレイをいくら振り返っても、ピンとくるものはありません。

 

根本さんの言葉は続きます。

「その怒りの裏側に隠している想い。

あなたの場合は、

・どうせ誰も助けてくれない

・だからひとりで頑張るしかない

・わたしなんて、いなくていいんでしょ

・どうせ私のことなんて、どうでもいいんでしょ

 

ほら、固まるでしょう?

この辺りで何か心当たりはありますか?

その裏には何を隠しているんでしょうか。

 

私ってすごく弱くて、さみしがりやで、不安が強くて、自信がなくて・・

そんなところでしょうか。

 

ってなってくると、病気になるんですよね。もしくは、燃え尽き症候群

 

病気の1つの目的は、弱い自分に会えること。

病気になるまで弱さを出せないんです。」

 

根本さんの言葉が、頭の中を通り過ぎていきます。

私のことを、これだけ具体的に伝えてくれているのに。

日本語はわかるけど、ぜんぜん入ってきません。

自分のことなのに、全く。。

でも。

たしかに子供の頃、親に「わたしなんていなくていいいんでしょ」と言った記憶がありました。

 

そういう時の解決方法として提案していただいたのは、

「頼れるお姉さん的存在を作り、頼る」こと。

自分が甘えられる存在、弱いところや情けないところを出せるお姉さんを、たくさん作ること。

ここでは、女性性を癒すために「女性」に頼ることに意味があり、「頼る」のは、もう頑張れないことを認めるため。

何もできない屈辱感、みじめさ。これを自分に実感させることで、これ以上頑張れない→頼るという導線を引くのです。

 

私は、頼ることで「重い」と思われるのが嫌でした。

誰かに任せることで、物事が自分のコントロールできない状況になることや「流れに身をまかせる」ことが怖かった。もしもの時に誰かに「頼る」ことができないから、もしもの状況を作らないようにしていたのでしょう。

白状すると、根本さんのセミナーで「サレンダー、流れに身をまかせる」というフレーズを聞いても、日本語はわかるけど、その意味が全く入ってきませんでした。

その発想も経験も、私の中にはなかったのでしょう。

 

私の場合、体の強制終了に陥ってからは、年下の妊娠中の相棒に、全てを委ねるしかなくなり、初めて「頼る」を経験しました。

本来ならば私が支えてあげなくちゃいけない人なのに、頼らざるを得なくなって、とても苦しい想いがありました。

でも、意外なことに、彼女は嬉々として仕事をこなし、新人教育も上手にこなし、自分が産休に入ったあと私が困らないような環境作りをしてくれました。

私の「頼っていはいけない」という想いは、彼女の活躍の場を奪っていたのかもしれませんね。

体の強制終了は、私にとって苦しみでしかなかったけど、「頼る」ことができない私に神さまが与えてくれた最高の学びのギフトだったのかもしれません。

 

根本さん:逆の立場だったら、(頼られたら)重いと思う?

私           :嬉しいです。

たしかに。。頼られるって嬉しいことです。

その発想に、なぜ今までたどり着けなかったんだろう。

 

私が未だ見つけられていない「私、何に怒っているんだろう?」の答え探し。

なぜ「怒り」で感情の蓋をすることになってしまったのか。

蓋の奥に私はどんな感情を隠しているのか。

この時はまだわからないまま、午後の講義に繋がっていきます。

 

つづきます!